古 文 書  
                                                     更新 2018/11/22



会員のみ参加できます












問合せ  鈴木  090-9000-8522



  

開 催 日 時 場  所 内  容
毎月第3木曜日
10:00~16:00
市民活動推進センター 「太平年表録」二編の講読






テキスト「太平年表録」の全頁は<コチラ>です。


 2018年4月より講読中のテキストは
「太平年表録」二編です。



テキスト「太平年表録」二編の全頁は<コチラ>です。


輪読会実施報告(太平年表録)




 年月日
(出席人数)
 内  容
 2018/11/15

  参加 :19名
 
 
*テキスト
     藤間柳庵「太平年表録」二編

  *輪読した頁   33~35
  *輪読した頁の要点

   安政三(1856)年三月十八日の正午ごろ、突然霰が降ってきた。五〜八寸
  
(1525cm)も積もった。翌日に消えたが、日陰には三、四日残った。
  降った地域
は相模川の西の八幡•四之宮•馬入村、東の萩園•西久保•浜之郷
  などであり、これら
地では空豆•豌豆•菜種が全滅。大麦は半毛と見られ
  る。

  安政三(1856)年八月二十五日、夕方から降りだした大雨の記録。
  筆者は予定の
江戸出府のため午後二時頃、家を出たところ、途中で大風
  雨に会いやむを得ず藤沢
宿に宿をとった。夜中に風が和らいだので、夜
  明け前に外に出て帰宅しようした
ところ、川の水位が上がり橋が危険なの
  で、宿場の人々が集まって散りゴミを除去
する作業をしていた。 倒壊し
  た屋敷を越えて、四ッ谷の伊勢屋に来ると半壊の状
態だった。

  *会員の研究発表を行った。
     ①仲摩邦夫氏
   “歴史は繰り返す、幕末にもあった「梵鐘供出」のお触れ”
      ②岩間勝之氏
   “百人一首で変体仮名に親しむ“
   “絵と歌で見る江戸の職人“

2018/10/18

  参加 :15名
 
 
  *テキスト     藤間柳庵「太平年表録」二編
  *輪読した頁   28~32
  *輪読した頁の要点
   
     9月に輪読した安政二(1855)年の海岸防備のため寺院の梵鐘を供出し
   大砲小銃
を鋳造する件につき、部員から「太政官府」の通達文の紹介
   があった。
史実として梵鐘の供出は極めて少なかった。
     安政二(1855)年十月二日(新暦十一月十一日)夜、大地震が発生した。
   これは
安政江戸地震」と呼ばれ江戸直下型のM 6.9- 7.4の規模であり、
   地震•火
による死傷者は10,000人近いと見られている。
   
茅ヶ崎•寒川•厚木•藤沢•小田原では被害は軽かった。
   
筆者の柳庵は、江戸に奉公に出ている孫娘の安否を確認するため二日
   後に江戸
へ行く。孫娘は無事であったことを確認し、江戸の被害状況
   を地名を上げて詳細
に記している。
     主な地名を現在の行政区に従って上げると次の通り。 

      千代田区-本丸•二重橋•桜田見附•和田倉見附•神田橋•追手(大手)•
             飯田町

     台東区-下谷•上野•三枚橋•広小路•坂本車坂•蓑輪(三ノ輪)•新吉原•
            江戸町
田町大音寺•花川戸•聖天町•猿若町•馬道•浅草寺•
            並木通諏訪町•駒形

     墨田区-本所•石原•立川通•相生町•林町•緑町•小梅引船
     江東区-深川八幡•相川町•蛤町
     文京区-本郷•湯島切通•小石川
     中央区-南伝馬町•鍛冶町•桶町•五郎兵衛町•畳町•具足町•常磐町•
            因幡町

     港区-芝口•柴井町•宇田町•高輪海岸通•赤羽根通•西麻布•広尾•赤坂

     そのほか、東海道など街道筋の状況を記している。

 2018/9/20

  参加 :15名
 
 *テキスト
     藤間柳庵「太平年表録」二編

  *輪読した頁   24~ 27
  *輪読した頁の要点
     安政二(1855)年、朝廷(孝明天皇)の意図として、海岸防備のため諸国
   の
寺院にある梵鐘を供出させて大砲や小銃の材料にしたいという通達
   が出た。

     しかし寺院側は梵鐘は日頃の宗派の活動に不可欠であるという見解で
   あり、
また村々は出火などの非常事態の通知に欠かせないという意見
   であって、梵鐘
の供出は極めて少なかった。 対応としてオランダ製
   の銃砲が
3,000梃以上江戸
へ届けられた。
     安政二(1855)年十月二日夜、大地震が発生した。茅ヶ崎の柳島では
   津波が
あるかと恐れたが、幸いなかった。建物の被害はなく土蔵が多
   少ひび割れした
,直ぐに修理を要するほどではなかった。寒川•厚木•
   藤沢•小田原も被害は
軽かった。

 2018/7/19

  参加 :17名
 
  *テキスト
     藤間柳庵「太平年表録」二編

  *輪読した頁   21~ 24
  *輪読した頁の要点
     185411月に改暦があり、年号が嘉永から安政に替わった。これを
   祝して武家
屋敷では法螺太鼓を吹き鳴した。
     安政二年三月、武術奨励のため大名•旗本らが江戸—鎌倉を往復し速さ
  を競った。
これには、阿部伊勢守らの五〇疋の馬が参加している。
  
また、朝廷(孝明天皇)の意図として、諸国の寺院から梵鐘を供出さ
   せて大砲
小銃の材料にしたいという通達が出た。


  2018/6/21

  参加 :20名
 
 *テキスト     藤間柳庵「太平年表録」二編
  *輪読した頁   15 20
  *輪読した頁の要点
     嘉永7(1854)11月に発生した地震の被害状況。
     伊豆の下田湊では大津波により港の船が山の中腹に押し上げられ、溺死
   者が
多数出た。
     ロシア船も破損し修復をしていたが、この船にアメリカ人の婦人が乗っ
   ていて
下田の寺院に一時宿泊していた。この婦人は横浜に居住していた
   が夫を亡くし
ロシア船で帰国するところであった。
    伊豆などの地震から一日遅れて大坂湾にも津波の被害が及び、溺死者
     7千
1万人とのことである。

  2018/5/17

  参加 :19名
 
  *テキスト   藤間柳庵「太平年表録」二編
 *輪読した頁       8 - 14
 *輪読頁の要点 
   嘉永7(1854) 年、再度の来日をしたアメリカ艦隊への種々の対応が
    述べられている。日本側の船には日の丸を
掲げたとある。
  同年11月に、突如、伊豆半島を震源とする地震が発生した。
      地震とそれに伴う津波による悲惨な被害の状況が記されている。
    来航していたロシア船も破損が著しく、修復の状況
が述べられている。

 2018/4/19

  参加 :18名
 
  *テキスト  藤間柳庵「太平年表録」二編
  *輪読した頁 1 ~ 8
 *輪読頁の要点
      嘉永7 (1854) 年、ペリーが江戸幕府の返答を 求めて、再度の来日をした
    ときの記録。
   アメリカ艦隊の全貌を記し、隊員が上陸して来たときの状況や日米両国
    からの贈答品を
書き上げている。
      さらに、他国の異国船としてロシア艦隊の往来も記されている。



        



  2018/3/15
  参加 :21名

2018/2/15
参加 :18名
 
*テキスト   藤間柳庵「太平年表録」初編

* 輪読した頁  テキスト 42 頁~48
* 輪読頁の要点
      <幕府からの御触書>
  嘉永 7 (1854) , 黒船の江戸湾来航に対応して、その防備に関する
    御触書が幕府から各大名に発行された。

      例として、次の大名への御触書が紹介されている。
    

   松平和泉守、阿部伊勢守、松平加賀守、松平壱岐守、
      
松平越後守、松平越中守、堀田備中守、松平備前守、
         松平兵部大輔、松平阿波守、
     
       ことに、松平越中守への書面は詳細な長文である。
       今回で「太平年表録」初編の輪読を完了した。 


 2018/1/18

  参加 :14名
  
  テキスト   藤間柳庵「太平年表録」初編

* 輪読した頁  テキスト 36 頁~42
* 輪読頁の要点
 
 <黒船が再び来航>  
     1854年1月、黒船が幕府の返書を求めて再び江戸湾にやって来た。
   柳庵の所有する不動丸が馬入川の河口で初荷を積む作業をしている
   と沖に三艘の外国船が見
えた。
   その後、外国船七艘が江戸内海へ入り、武士たち
が防衛体制をとった。

    <旗本の防衛体制>
   旗本の戸田久助は、知行高 1500 石に対して人足 55人、馬8疋を供出
  した。
  
    <異国船が神奈川湊に集結>
      再来航した異国船が神奈川湊した。柳庵は浦賀へ赴いて、異国人約
   700
人が上陸し浦賀奉行が応接している模様を実見している。
    <幕府の御触書>
  江戸湾の防備に関する幕府からの御触書が出された。

 2017/12/21

  参加 :17名
  
  テキスト   藤間柳庵「太平年表録」初編

* 輪読した頁  テキスト 32
頁~35

* 輪読頁の要点
 
 <高松芳孫からの上書>  
     上書に附記された真心歌 十一句
    <高松芳孫からの意見書>
      黒船の砲撃には鼻孔に真綿を詰めれば有効である、という意見
    <水戸前中納言の御詠歌>
      三首が提示されている
    <太平天国の風聞>
      長崎経由で伝わった中国の南京を中心とした動乱の情報
* その他
      関連文書として井伊直弼の嘉永6(1853) 8月の意見書
  「初度存寄書」を解読した。
    この意見書において、大老井伊直弼は黒船の来航に対し開国に前向き
    であったことが解る。


  

 2017/11/16

  参加 :21名
 
 
テキスト   藤間柳庵「太平年表録」初編

* 輪読した頁  テキスト 26 頁~32
* 輪読頁の要点
   ペリーの来航により、アメリカ大統領から国書がもたらされた。
 この国書に対し翌年までに返答を迫られた幕府は、全国の大名に
 意見を求め多くの大名から意見が寄せられた。その内のいくつか
 を輪読した。

   < 26 - 28頁> 松平越前上からの上書
    大統領の国書は返上し戦を恐れずその準備をせよという強硬な意見
   29 - 30頁> 真田信濃守からの上書
 亡祖父が心掛けた火器をもって江戸湾の防衛に参加したいという意見
 <30 - 32頁> 高松芳孫からの上書
 黒船に対して大和魂によって戦う決意をしているという意見  

 2017/10/19

  参加 :10名
 
 
テキスト   藤間柳庵「太平年表録」初編

* 輪読した頁  テキスト 25 頁~26
* 輪読頁の要点
  「道光二十二年青圍策文」 中国語の文献。
   1842年に実施された国家公務員の採用試験問題。
  問題文の要旨は、外国の野蛮人は大きな武器と勢力を持っている、
 背きやすく安心していられない。
  我が中国が外国の野蛮人をうまくあしらうにはどうしたら良いか?
  包み隠さず答えて欲しい、という内容である。
* その他
   変体仮名で書かれた食物の資料を読み、勉強した。 
 
 

 2017/9/21

  参加 :16名
 
 
  テキスト   藤間柳庵「太平年表録」初編

* 輪読した頁  テキスト 21 頁~25
* 輪読した頁の要点
  「日本考略 翻訳」 嘉永 3 (1850)年の翻訳、原本はドイツ語であったのを
 オランダ人が蘭訳し長崎へ持参したものを、オランダ語の通詞が和訳した。

 主な事項は
 ①日本の地勢
    ②日本の産物

  ③日本の法制
    ④皇帝と江戸幕府
  ⑤日本の宗教
 ⑥日本の学術技術
    ⑦日本との通商の問題点 など
   その他
      7 月に実施された公的な古文解読試験の問題文を解読し、勉強しました。 

  2017/7/20

  参加 :16名
  テキスト   藤間柳庵「太平年表録」初編

* 輪読した頁  テキスト 16 頁~21
* 輪読した頁の要点
 浦賀奉行のペリー宛書翰、国書受取
 両国の贈答品
 ③  明星の出現 
 ④  品川台場の普請および掛り役人
    内海御固場および警備の大名旗本

 2017/6/15

  参加 :17名
 
テキスト   藤間柳庵「太平年表録」初編

* 輪読した頁  テキスト 7 頁~16
* 輪読した頁の要点
  合衆国大統領より日本国将軍宛の書翰
 ②  合衆国大統領の書翰、水師提督ペリーへ全権委任の旨 
 ③  合衆国水師提督ペリーより日本国将軍への上書
  ④  合衆国水師提督ペリーの口上、会合の期限
 ⑤ 
合衆国水師提督ペリーの書翰、国書の回答 
 

 2017/5/18

  参加:18名
 
テキスト   藤間柳庵「太平年表録」初編

* 輪読した頁  テキスト 3 頁後半ー 6

 浦賀御奉行 井戸岩見守    <以下 42名の長官の記載  >

 総勢   合三十九万六千余人
             石火矢六十挺   大筒六百挺
             長柄一万三千筋  同車臺附三百挺
             鉄砲六千五百挺  ノロせ百二十本

    予六日藤沢より友を得て彼之地へこえ一泊して翌七日西浦賀高丘へ
    登り遠鏡
を携へ一覧するに亜墨利加船四艘也
      其内二艘は小船にして左右へ窓をあけ鉄砲の筒先之内 長四十間余也
   巾十二三間程
二艘は大船にして黒船なり、鉄砲の窓と翼車之内一帯
    船上屋形の如く火の見様の類
ことごとく白し、譬は雪中城郭を眺
    の如とし、長六十間余
  巾十八九間 蒸気船と唱ふ、此船進まんと欲
    するときは石炭を焚て左右の翼車をめぐらす、其疾き事一時に二十里
    を走すると云、煙り黒雲の如し、 別に此
図あり、しかれば浦賀住居
    の市輩噪動して
家内の雑具をはこび或は遠く馬に負はせ近郷又は縁者
    へ送る、其沙汰甚しければ
當御役所より是を停止するといへとも、
    折に
人気の騒立忍びかたし、予焚蒸の気候に怕れ取敢えず八日夜三更
    に帰宿せり、自是
以下他聞を記せり、九日久里濱へ備場を御構ありて
    帷幕を張、御出勤之方々様には

   宮田御陣屋 井伊掃部頭 総勢二千三百人程 
          <以下 4名の長官の記載>

  右御大将に錦繍之陣羽織を着用、士卒は陣笠に白きたすきをかけ抜身
    の槍に
火縄附の鉄砲を携へ、亜墨利加の上陸を俟たりける、
    豈蒸気船より人数四百八十人を
繰出し、十八艘の扁舟に打乗上陸する
    、其行列は六十人を一伍として八組にわかち
各黒白の着服なり、
    腰より以上黒
腰より以下白   中にも総首二人は十八人の伶人を左右
    に随ひ、音楽に
応してしづしづと惟幕の中に入て面謁、冠頂異形の
    禮服なり、筐中の棒書左に
合衆国伯里爾天徳書翰和解


 2017/4/20

  参加:20名
 * テキスト  藤間柳庵「太平年表録」初編
 藤間柳庵 (1801 ~ 1883) は高座郡柳島村の名主であり、家業は江戸と柳島
を結ぶ廻船業であった。
 「太平年表録」は、柳庵が編纂した幕末維新の政治と社会の情報記録である。
* 輪読した頁(テキスト 1 - 3頁前半)
  
発端
 嘉永六癸丑稔春二月初二日昼四ツ時、小田原大地震御城内損所多く御天守
傾き市中の倉廩大半頻す、惣して御領分之山谷鳴動して岸壊くずれ民家こぼ
ち、又は地上裂て逃走するに方を失ひ人命を損するもの幾回そや、中にも道
了権現之社再建していまだ荘厳ならさる尊倒す、別当最勝寺庫裏大地へ道々
之一山騒動大方ならず、追て社壇を開山堂之後丘へ転還するよしきけり、さ
れば城主より御領内を巡行し難民へ御救米金を賜はる、然りといへども震に
軽重あり、三浦鎌倉かろし厚木辺所々損しあり、御府内は損しなし、即今俗
に小田原地震と号し、去七ヶ年前丁未春信州善光寺大地震之引尾なるよし評
判すと、戯歌戯作等多し、其一ッを後証に備ふのミ
  <中略>
当丑年夏六月二日三崎城ヶ島沖方より異国船渡来いたし候由、漁子より三崎
御役所へ、浦賀御番所出張所なり、訴出に付、速に番士之面々かねて用意し
早船を出し襲ひ行しか、船より立けふり朦朧として炊ち其ハン縱を失ふ、此
船左右に翼車ありて順逆風に不拘よく進退ス、暫時浦賀口へ乗附たり、夫よ
り御奉行所数艘を以取かこひ御公儀へ注進ありし故、内海一帯武備之街とな
れり
  <欄外の説明>
 是ヲ蒸気船トトナフ 朦朧ハ則蒸気ノ立煙ナリ 此火力ヲヱテ自カラ自カ
ラ翼車巡ルトイへり 其ハヤキコト一時二、二十里ヲスグルト云 然レバ亜
米里加ノ五千里ヲ廿日ニキタル





輪読会実施報告(朝鮮人一件御用留帳)

 年月日
(出席人数)
 内  容
2017/3/16

  参加:17名
 テキスト: 天和2年(1682)8月、藤沢宿に宿泊した朝鮮通信使を饗応した記録
      別紙
(Mo.31~35)
            テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。

*要旨
    饗応に使用された主な食料は、
   飯・饅頭・羊羹・豆腐・鯛・鰺・鰻・鶏・大根・牛蒡など。
   
    3月にて、朝鮮人一件御用留帳に関連する輪読を終了しました。

 2017/2/16

  参加:17名
 
 
 テキスト
: 朝鮮人一件御用留帳(118~126頁)
  テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。

*要旨
  ①延享4年(1748)の朝鮮人来朝に当たり、藤沢宿において朝鮮人の各階
   層に対し、盛装をして給仕した人数は
   小童 26人に対し、給仕人 4人
   中官 128人に対し、給仕人 30人
   下官 139人に対し、給仕人 45人
   通訳 45人に対し、給仕人 21人
  ②4つの村の助郷による昼夜勤務の人数は
   香川 113人、中瀬 36人、宮山 625人、倉見 431人であり
   計 1,025人、人件費は計約 77両であった。
  ③接待用に藤沢宿で準備した食料の主なものは、
   串刺しの魚・豆腐・茄子・生姜・にしん・ねぎ・大根・小菜・牛蒡など
   はかに松箸174膳。
  
  これ以降のテキストは欠如しており、今回にて輪読を終了しました。

  

2017/1/19

  参加:16名
  
 
テキスト
: 朝鮮人一件御用留帳(110~115頁)
  テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。

*要旨
  ①延享4年(1748)の朝鮮人来朝に際し、藤沢宿で消費する薪燃料の手当を
   した。
   堅木  554束(1束は長さ2尺×径2尺)
   松木  620束( 同上 )
   経費  銀98匁2分
  ②宿場の人馬留矢来小屋の損料が、当初は金100両7分の見込みであった
   が、請け分を念入りに再見積したところ、凡そ3分の1が減額された。

  

2016/12/15

  参加:16名
 
 テキスト: 朝鮮人一件御用留帳(102~109頁)
  テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。

*要旨
  ①延享4年(1748)、朝鮮人来朝に応じ藤沢宿への助郷の役を外される
   118村が代官から指令が出されたが、それ以外にも多数の村々が役を
   外された。
  ②朝鮮人来朝の際、街道に矢来垣・小屋などを設置するが、事前に業者
   費用の入札をするよう、指令された。

  ③
朝鮮人来朝に関して、指令を受けた宿場の問屋は速やかに村々への
   回状を行うよう、指示された。

 2016/11/17

  参加:17名
  テキスト: 朝鮮人一件御用留帳(97~101頁)
  テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。

*要旨
  延享4年(1748)、朝鮮人来朝に応じて、代官から藤沢宿・戸塚宿
  へ人馬の助郷の指令が出されたが、同時に助郷の役を外される
  村々の指令もあった。
 役外の村々は 
 三浦郡において     43村
         相州大住郡において   4村
         相州高座郡において   64村
          鎌倉郡において     4村

        
その他、高座郡において  3村

 2016/10/20

  参加:16名
   
  テキスト: 朝鮮人一件御用留帳(93~97頁)
  テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。

*要旨
  延享4年(1748)、代官から朝鮮人来朝において、宿場へ人馬
  を助郷すべき村々の指令が出された。
   

 ①藤沢宿への助郷は、鵠沼村をはじめ
48の村々。
 ②戸塚宿への助郷は、金井村をはじめ35の村々。
 ③保土ヶ谷宿への助郷は、平戸村をはじめ39の村々

 2016/9/15

  参加:15名
  
 
テキスト
: 朝鮮人一件御用留帳(87~92頁)
  テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。

*要旨   
 ①寛保2年(1742)正月、東海道及び美濃路の宿場宛ての代官
  6人連名の書状。朝鮮人来朝の接待役代官38人分の印影を
  各宿場へ送るから、印影により来朝関連の書状や荷物の
  確認をすること。
 ②同日の書状。朝鮮人の来訪・帰朝において、申付けてある
  通りの馬と人足の手配を徹底し支障のないように。
 ③馬の鞍・腹帯・荷縄などを十分に確認し、
飼葉の手配にも
  支障のないように。
 
 なお、会員の清水直さんから次の研究発表がありました。
  清水直:「朝鮮人一件御用留帳-整理ノート」

  2016/7/21

  参加:15名
 
 
テキスト
: 朝鮮人一件御用留帳(84~87頁)
  テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。

*要旨   
 ①寛延元年(1748)正月、代官・斎藤喜六郎からの通達
 各宿場とも困窮しているであろうが、朝鮮人の来朝、帰国に
 おいて人足、乗馬の手配に怠りないように。
 ②同正月、6役人連名で大阪~江戸まで27宿場への通達
 朝鮮人の賄い所へ接待用の陶器・塗物を手配するので、手違い
 のないよう十分に配慮するように。
 
 なお同日、次の会員の方々から自主研究の発表があり、討論会
 を行いました。
  杉森真弓さん:江戸時代の金貨・銀貨と現代通貨との関係
  土師利昭さん:江戸時代の貨幣の換算
  野上健さん:「御馳走乗馬役」「鞍貝」 とは
 

   2016/6/16

   参加:15名
 
テキスト
: 朝鮮人一件御用留帳(78~83頁)
  テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。

*要旨   
 ①寛延元(1748)年の朝鮮人来朝に際し、藤沢宿の人足の溜り場
 として金剛院が指定されて、人足600人が泊まった。幕府側から
 宿代金五両が支払われた。(金剛院は幕末に廃寺となっている)
 
 朝鮮人一行の往路、復路における接待・乗馬などの費用負担
 として、47の大名が指定されている。
。 

  2016/5/19

   参加:18名
  テキスト: 朝鮮人一件御用留帳(72~77頁)
  テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。

*要旨   
 寛延元(1748)年の朝鮮人来朝に際し、各宿場の人馬小屋や
 矢来(街道のガード)の補修ついて宿場ごとに費用の見積が
 行われた
。 

*藤沢宿における見積―素材の見積の例
 金壱両につき
 竹   2~3.5間   85本
 雑丸太   67尺   230本 
 丸太    2間   74本
 杉丸太   2間   68本

 2016/4/21

  参加:20名
  テキスト: 朝鮮人一件御用留帳(68~71頁)
  テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。

*要旨   
 寛延元(1748)年の朝鮮人来朝に際し、休息・宿泊する予定
 の宿が次のように指定され
た。 

*壱岐勝本・備前藍嶋・長門赤間関・周防上ノ関・安芸上蒲刈・
 備後鞆・備前牛窓・播磨宝津・摂津兵庫・大阪・河内牧方・
 山城淀・京・近江大津・近江守山・八幡・彦根・美濃今須・美濃
 大垣・辰張起・名護屋・鳴海・三河岡崎・赤坂・吉田・近江新居・
 見付・浜松・掛川・金谷・駿河藤枝・府中・江尻・吉原・三嶋・箱根
 ・小田原・大磯・藤澤・神奈川・品川・江戸 以上 42宿

 2016/3/17

   参加:17名
 
テキスト
: 朝鮮人一件御用留帳(64~67頁)
  テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。

*要旨   
 寛延元(1748)年、朝鮮人約480名が来朝するに当たり休息
 ・宿泊する予定の宿の責任者が指名されている。27箇所の
 宿場が掲げられている

 2016/2/18

  参加:14名
 テキスト: 朝鮮人一件御用留帳(56~63頁)
  テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。

*要旨   
 朝鮮人の来朝において、宿場は困窮しているので手当がな
 いと勤めがたい。幕府側は憐愍をもって
対処して頂きたい。

 2016/1/21

  参加:19名
 *テキスト:御触書 道中筋之部(52~55頁)
  本来のテキストである延享4(1747)年の「朝鮮人―件御用
 留帳」と関連の深い「御触書 道中筋之部」正徳2(1712)年
 という史料を輪読した。
 その史料の一部を別紙
<コチラ> に添付する。
 道中奉行が人馬の種類や賃銭などにつき、細かく定めてい
 ることが判る。 

 2015/12/17

  参加:17名
 テキスト: 朝鮮人一件御用留帳(52~55頁)
  テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。

*要旨   
 延享4(1747)年3月、奉行所から過去の朝鮮人来朝について
 問合せがあり、
街道筋の宿場側から要望などを回答した。 

  2015/11/19

  参加:16名
 テキスト: 朝鮮人一件御用留帳(46~51頁)
  テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。

*要旨   
 延享4(1747)年3月、近々見込まれている朝鮮人来朝に備え
 て奉行所から問合せがあり、
それに対応して藤沢宿の問屋
 が回答した
。 

 *関連事項の勉強
    朱子学者の荒井白石・雨森芳酬につき長嶺敬子さんと中村
 恵司さんから調査結果の発表がありました。

 2015/10/15

  参加:15名
  テキスト: 朝鮮人一件御用留帳(37~43頁)
  テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。

*要旨   
 延享4(1747)年に次の年の朝鮮人来朝に備えて、代官から
 藤沢宿に過去の来朝において如何なる対応をしたか問合せ
 があり、回答をした。 主な要旨は次の通り。

 1)人馬留め矢来(臨時の囲い)の過去の絵図を提出
 2)寄人馬、中馬を提供した

 3)馬の飼料を負担した
 4)本隊の前後に通過する荷物も宿で受渡しをした

*関連事項の勉強
    中村恵司氏から「雨森芳酬」(1668 - 1755,  朱子学者)
 に関して調査した結果につき解説があり、拝聴した。
   
6人来朝に対して、東海道の品川から淀まで17の宿場の
 年寄りが合同で
提出した契約書である。幕府からの指令に
 対し、誠意をもって対処すると述べられている。

 2015/9/17

  参加:18名


テキスト: 朝鮮人一件御用留帳(33~36頁)

     テキスト本文は<コチラ>をご覧下さい

 * 要旨:街道の宿々は困窮しているので、御定め
  馬を朝鮮人御用として使うことを回避しよう
  と、宿場の問屋・年寄たちが幕府の代官たち
  に訴願した書状



 2015/7/16

参加:20名
 
テキスト
: 朝鮮人一件御用留帳(27~32頁)

 * 要旨:幕府の役人6人来朝に対して、東海道の品川か
  ら淀まで17の
宿場の年寄りが合同で提出した契約書で
  ある。幕府からの指令に対し、誠意をもって対処すると
  述べられている。


 輪読:テキスト(6-7月)の20~32頁(テキスト本文は
  
<コチラ>をクリックしてご覧下さい)

 2015/6/18

参加:20名
  テキスト:        朝鮮人一件御用留帳(20~26頁)

 *要旨:朝鮮人来朝に対し、戸塚•藤沢•平塚•大磯の4宿
  の年寄りが共同で
代官所へ意見書を提出した。概要は、
  通し人馬ではなく寄せ人馬により来朝に対応したい、と
  いう意見書である。

 2015/5/21 

参加:13名
 
テキスト
: :       朝鮮人一件御用留帳
* 要旨:朝鮮人の来朝に対し、戸塚・藤沢・平塚・大磯の
 各宿場の年寄が共同して、代官所へ提出した意見書の控え
 輪読:テキストの17~19頁(テキスト本文は
<コチラ>
 クリックしてご覧下さい)


 
2015/4/16 
  9時30分
JR茅ヶ崎駅
改札口集合

参加:17名



 
  会員長嶺敬子氏の案内により、大山街道筋の史跡(熊野
  神社-唖禅坊の句碑-水越家の長屋門)を見学し、次いで
  茅ヶ崎の某家宅を訪問しました。そちらは茅ヶ崎の旧家
  であり、昨年まで輪読していた「御仕置御定書」の写本
  を保存しておられます。同書を部会のテキストに使用し
  、昨年末に解読を完了しました。同家のお庭を借用して
  昼食をとり、歓談をいたしました。


 2015/3/19 

参加:19名
 テキスト: :       朝鮮人一件御用留帳

 輪読:  テキストの9~16頁(テキスト本文は <コチラ>
     クリックしてご覧下さい)
         

 2015/2/19 

参加:20名
 テキスト: :       朝鮮人一件御用留帳

 輪読: テキストの1~8頁(テキスト本文は <コチラ>
    クリックしてご覧下さい)
         「享保四亥年朝鮮人御旅館御尋二付申上候事」

   2015/1/15 

 参加:15名
 *御仕置御定書

 <九六>御仕置仕形之事

 これが最終章であり、刑罰の内容を総括している。

 鋸挽、磔、引廻之上獄門、火罪、斬罪、死罪、下手人、
 遠島 など
 全部で四九項目が掲げられている。

  この章で御仕置御定書の輪読が完了しました。


報告者:萩原史巨


野外勉強会風景(2015/4/16)


輪読会実施報告(御仕置御定書)

 年月日(人数)  内  容
   2014/12/18 
   (出席15名)
 *御仕置御定書

 <九六>御仕置仕形之事

 これが最終章であり、刑罰の内容を総括している。

 鋸挽、磔、引廻之上獄門、火罪、斬罪、死罪、下手人、
 遠島 など
 全部で四九項目が掲げられている。

  この章で御仕置御定書の輪読が完了しました。

   2014/11/20 
   (出席16名)
 *御仕置御定書

<九一>村方帳面無印村役人咎之事

 帳面を公開せず捺印してない役人は罰金とする

<九二>軽悪事之者出牢之事

 軽犯罪者が六〇日以上取調べを受けた場合は、

 さらに数日入牢させて宥免とする

<九三>妻を売女致候御仕置之事

 妻の同心を得ずに売女とした者は死罪とする

<九四>追放入墨に成り候者ならびに悪事致し候者御仕置之事

 追放されている地域を徘徊し悪事を犯した者は入墨とし、

 さらに悪事を重ねた者は死罪とする

<九五>私に枡秤造り相用い候者之事

 枡秤を私造して軽重大小に相違がなければ、咎めは軽くする

  2014/10/16 
   (出席14名)
 *享保撰要類集
  <五>および<六> 死罪を実施する日は、祝儀や将軍家の忌 日や誕生日を避ける.
 <七>処罰を実施する際は、例書(判例書)を添える

 *御住置御定書
  <八一>辻番人御仕置之事
 犯罪を犯した公務員は重罪とする
  <八二>重科人死体塩詰之事
 重犯罪人の死体は塩詰めにする
  <八三>留預ヶ者之事
 重病人は入牢を保留する
  <八四>無宿片付之事
   無宿人に引き取り手があれば渡し、無い場合は水替え人足
  に使うなどする

  <八五>縁談之事
 人妻を虐待した者は死罪、婿養子を虐待した者は重罪とする
  <八六>質物出入取捌之事
   八ヶ月以内に引き取りがなければ、質物は流す
  <八七>頻旅人宿送りに致候咎之事
 医者にかからず、宿に留まっている病の旅人は所払いとする
  <八八>町人百姓帯刀を咎之事
   帯刀した町人百姓は重追放とする
  <八九>新田無断引移候之事
 新田を無断で耕作した者は、取払いの上、罰金とする
  <九十>御仕置者之倅出家願之事
 島流しの罪になった者の倅は15歳まで親類へ預け置き、   出家の願いがあれば許可する

 2014/09/18 
   (出席19名)
 *享保撰要類集(八代吉宗時代の法令先例集)
  
 <四>鷹匠に属する餌差の役人が人馬を強要し金銭を借用
  したので、極門(=獄門、処罰するの意)
にする。また
  品川の名主が地位を悪用している疑があり、処罰する。


 *御仕置御定書
 遠嶋再犯御仕置の事
 島流しの刑に服している者が再犯した場合は、一段階  重い   罪とする。
 2014/07/17 
   (出席15名)
 *享保撰要類集(八代吉宗時代の法令先例集)
   
<壱>乱気にて殺人をした者は牢に入れ、本性に戻ったら
  遠島にする。

 <弐>無尽金を持って逐電した者は死罪とする。
 <参>白紙手形による借り金は犯罪である。

*御仕置御定書
 人相書を以て尋ね者をすべき事
 謀計・関所破り・親殺しをした者は人相書を以て御尋ね者
  とする。

  2014/06/19 
   (出席17名)

*仕置問答
   座敷牢の囚人の取扱いは
 食事:一日玄米五合と飯汁、香の物なし
 行水風呂 : 5 - 6 月は 6 / 月、冬春は 3 - 4 /
 月代は囚人同士で結う

*御仕置御定書
 (1) 15歳以下の罪人
 殺人•火付けの罪人は15歳になるまで親類で預かる
   (2) 罪人の住所を隠した者
 罪人と同罪とする

   

  2014/05/15 
(出席17名)
*仕置問答
 役人である代官が領主や郡代の眼を盗んで、公金300両を
 横領し遣い込んでしまった事件が発生。

 これにつき幕府側からの回答は、罪は遠島か死刑である
  が、さらに詳細に調査するように、とのことであった。

*御仕置御定書
 拷問についての定書には、殺人放火盗賊などを犯し証
  拠があるにも拘らず白状しない場合は拷問せよ、とある
  。
関連する「徳川禁令考」の事例をも併読した。

 

 2014/04/17 
(出席17名)
 
*仕置問答
 強盗殺人犯は引回しの上、獄門。
 犯人の親族が犯行の実態を全く知らない場合は、無罪と
 する。
*御仕置御定書 / 徳川禁令考
 科人欠落ち尋ねの事。6ヶ月間捜査し、逮捕できない場
 合は
さらに追跡する。
 2014/03/20 
(出席16名)
 *仕置問答
 日光街道の杉戸宿の足軽が他人に手疵を負わせ出奔した
 が、6ヶ月が過ぎ行方不明である。
 幕府からの指示、さらに追跡せよ。
*御仕置御定書/徳川禁令考
 あばれ者・酒狂人の仕置、療治代の記事。
  御仕置き。
  2014/02/20 
(出席19名)
 *仕置問答
 放火により入牢中に脱獄し再逮捕された罪人。
 恩赦の対象にならず、死罪。
*御仕置御定書
 誤認逮捕、弓鉄砲による怪我、結婚式の石投げに対する
  御仕置き。
 2014/01/16 
(出席16名)
*元文2(1737)年「大岡越前守日記」
 1月朔日の日記から、将軍吉宗および後の家茂と諸大名と
  の江戸城における新年の儀式を読む。

*仕置問答
 旅籠屋における男女変死者の所持品の取扱い。
 死罪判決人の牢破りの対応。

  2013/12/19 
(出席13名)
 *仕置問答
 牢屋から逃げた者の処置
<幕府の判断>当人は一等重罪とし、不寝番の者は中追放
とする。
罪人を逃げさせた者は死罪。罪人の親類が牢破り
の道具を差入れた場合は処罰。

*御仕置御定書
 似せ金銀、毒薬、似せ天秤?枡?朱墨の御仕置。
  2013/11/21 
(出席16名)
 下男下女が密通し相対死をはかり、下男が下女を殺した
が、自害を仕損ねた。
 
<幕府の判断>下男を下手人として処置する

*御仕置御定書
  申懸(いいがかり)致候者 御仕置之事
<幕府の判断> 罪状により、中追放?重追放?遠島?死罪と
する。

                                 報告:萩原史巨




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