更新 2024/10/22
古 文 書 会
会員のみ参加できます
藤沢地名の会の古文書部会では、藤沢を中心とした古文書解読を、毎月第三木曜日に市民活動推進センターで開催しています。 会員はどなたでも参加できます。もちろん”お試し見学”も可能ですので、お問い合わせ下さい。 |
過去の実施報告
実施期間 | テキスト |
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2024年1月 ~ | 玉餘道人「相州大山順路之記」 |
2023年6月 ~ 2023年12月 | ひらがな附「泰平江戸往来」 |
2023年1月 ~ 2023年5月 | 晋永機 俳諧文庫「江の島紀行」 |
2022年6月 ~ 2023年1月 | 岩倉洗子 「知光院東海道旅日記(仮題)」 |
2022年4月 ~ 2022年5月 | 江戸後期 絵草子 「御所奉公東日記」 |
2021年6月 ~ 2022年3月 | 江戸後期の俳人 閑齋 「江ノ嶋鎌倉 美知志留邉」 |
2017年4月 ~ 2021年5月 | 藤間柳庵 「太平年表録 初編~四編」 |
2015年1月 ~ 2017年3月 | 「朝鮮人一件御用留帳」 |
~ 2014年12月 | 「御仕置御定書」 |
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輪読会実施報告 (相州大山順路)
2024年1月 ~
年月日 (出席人数) |
内 容 |
2024/10/17 13:30~15:30 参加 : 17名 |
*輪読した頁 42~49頁
今年1月から読み始めた『相州大山順路之記』は、今回で読了となった。旅案内は、称名寺、能見堂、そして金沢八景の風光明媚を
讃えながら終わる。今回はリード役のH氏が休んで、部会員だけの自習となったため、読解の意見が分かれる部分もあり、
次回H氏に最終まとめをお願いすることとなった。
また次に読み始めるテキスト(『箱根浴湯記』:19世紀初めに書かれた江戸~箱根塔ノ沢温泉の道中記)が参加者に配付された。 (布施記) |
2024/9/19 13:30~15:30 参加 : 15名 |
*輪読した頁 35~42頁
引き続き、『相州大山順路之記』を読んだ。参加者はこのテキストの文体に慣れたこともあり、輪読は円滑に進んだ。
テキストの題名の大山は遙か遠くに去り、長かった鎌倉巡りも終わり、今回は朝比奈峠を越えて金沢八景に達した。
旅の終着も近く、このテキストは来月の部会で読了となる予定だ。会の終了後、11月から読み始める新テキストの紹介があった。 新テキストの内容は箱根の温泉巡りで、10月の部会で参加者に配付される。 次回10月はテキストの42ページ4行目から。 (布施記) |
2024/7/18 13:30~15:30 参加 : 18名 |
*輪読した頁 29~35頁
引き続き『相州大山順路之記』の輪読を行った。内容は鎌倉の名所案内が続く。今回も予習充分の参加者たちの輪読は円滑で、文体に慣れたこともあり、
今までより半ページ多く先に進んだ。寺院の開山僧の名前など、字面は読めなくても、ネット検索であらかた情報が得られる。今は忘れられたような名所を、
『新編鎌倉志』など江戸時代の地誌から探し出す参加者もいる。ここ数回参加者は固定的で、みな熱心にテキストに取り組む姿勢が部会を盛り上げている。
次回の部会は9月19日(木)。同テキストの35ページ後半から。 (布施記) |
2024/6/20 13:30~15:30 参加 : 18名 |
*輪読した頁 23~28頁
引き続き『相州大山順路之記』の輪読を行った。部会員みなさんの予習は充分のようで、輪読は比較的円滑に進められた。
だ文章の内容は、葉山へ行ったり鎌倉へ戻ったり、また鎌倉の内におけるツアー順路や寺社の名称など、今とは違う部分もあり、ルートを辿る参加者をやや戸惑わせた。
部会終了後、『泰平江戸往来』の翻刻に携わったメンバーを中心に、藤沢駅周辺の飲食店で懇親会を行った。 次回の部会は7月18日(木)。同テキストの29ページから。 (布施記) |
2024/5/16 13:30~15:30 参加 : 18名 |
*輪読した頁 17~22頁
引き続き『相州大山順路之記』の輪読を行った。参加者諸氏は充分なる予習をもって臨んでおられる様で、輪読は円滑に進み、案内記は鎌倉を飛び出して逗子、葉山に至る。
テキストに続出する仏閣の宗派を巡り、複数の参加者から蘊蓄が傾けられた。
また、『泰平江戸往来』の翻刻作業が終わり、ワーキンググループから成果物が披露された。 次回は6月20日(木)。同テキストの23ページ1行目から。 (布施記) |
2024/4/18 13:30~15:30 参加 : 19名 |
*輪読した頁 13~17頁
引き続き『相州大山順路之記』の輪読を行った。文章は江の島の名所案内が続き、老僧と美しき稚児の悲恋に由来とする「稚児(兒)ヶ淵」の段では、古文書の読解からやや外れた話題も飛び出して、少々時間を費やした。
その後輪読は順調に進み、「順路之記」は江の島巡りを終え、片瀬、腰越に向かい、七里ヶ浜に入るところで時間切れとなった。
輪読終了後、有志による『泰平江戸往来』翻刻への継続作業が行われた。全体見直しが一通り終わり、翻刻版完成までもう一息となった。 次回の部会は5月16日(木)。同テキストの17ページの後ろ3行目から。 (布施記) |
2024/3/21 13:30~15:30 参加 : 18名 |
*輪読した頁 7~13頁
引き続き『相州大山順路之記』を輪読した。舞台は大山から江の島に移った。参加者たちにとって地元であり、難しい字が出てきてもある程度推定できるところもあり、ちょっとうれしい。
文中の難読字で、参加者の意見が分かれた。「は=盤」か「有」か、そして「違」か「随」か、あるいは「改」か・・・で結論は出ず、以降読み進めながら再検討となった。
次回は4月18日で、テキスト13ページの後半から。
(布施記) |
2024/2/15 13:30~15:30 参加 : 20名 |
*輪読した頁 4~7頁
前回より読み始めた「相州大山順路之記」を読む。「序」、「凡例」の部分を終えて、本文に入った。
輪読においては、会員のH氏より配られたテキストの関連書(抜粋)を予習してきた人と、そうでない人との間に差が生じた。
関連書にも疑わしき字訳があり、「宿」か「品野」か、あるいは「納」か「朝」か、を巡っての議論で盛り上がった。
終了後、メンバー有志による前回テキスト「泰平江戸往来」の翻刻作業が行われた。次回はテキスト8ページ冒頭から。 (布施記) |
2024/1/18 13:30~15:30 参加 : 20名 |
*輪読した頁 1~3頁
今回より『相州大山順路之記』を読み始めた。冒頭の序文及び凡例の部分が難解なので、講師の用意した翻刻版を全員で読んだ。
それでも難解な部分が散見され、途中休憩も取らずに全員で頭を絞った。進行は難渋し、凡例の途中で時間切れとなった。
次回は、テキスト4ページの冒頭からスタートする。 今回から2名が新たに参加した。 (布施記) |
輪読会実施報告 (泰平江戸往来)
2023年6月 ~ 2023年12月
『泰平江戸往来 全』 ひらがな附 |
本書は、全篇に平仮名が添えられた“往来物”です。大きく書かれた漢字に、変体仮名で読み仮名が添えられています。くずし字に親しむには最適なテキストです。
※古文書会の成果物として、本書の翻刻版を作成しました。 |
年月日 (出席人数) |
内 容 |
2023/12/21 13:30~15:30 参加 : 15名 |
*輪読した頁 17~20頁
『泰平江戸往来』を読了した。あと少しで終了の段階で、いくつかの見慣れぬ異体字に突き当たり、進行がやや滞った。
読了後、このテキストの翻刻版作成の提案があり、有志で作業することとなった。
次回からは『相州大山順路之記』の輪読に入る。本日より 2名が新たに参加者した。 (布施記) |
2023/11/16 13:30~15:30 参加 : 19名 |
*輪読した頁 14~17頁
引き続き『泰平江戸往来』の輪読を行った。内容は一変して、玉川上水建設や両国橋架橋など、江戸時代の大プロジェクトの話しとなる。
漢文調の文章だが、返り点などの位置が必ずしも正確でなく、参加者の間で読み方を巡っての議論もあり、進捗は3ページのみだった。
次回12月21日で本テキストは読了予定で、17ページ2行目よりのスタートとなる。 また、本日新テキスト『相州大山順路之記』の前半部分が参加者に配布された。 (布施記) |
2023/10/19 13:30~15:30 参加 : 15名 |
*輪読した頁 10~13頁
引き続き『泰平江戸往来』の輪読を行った。今回も江戸集荷物産名の羅列が続く。日本から遠い大陸や南方からの珍奇な物産の記述も多く、
鎖国当時の交易が、想像以上広域に及んでいたことを知ることができる。本テキストの読了に、あと2回は必要と思われる。
次回の部会は11月16日(木)。同テキストの14ページから。 (布施記) |
2023/9/21 13:30~15:30 参加 : 14名 |
*輪読した頁 7~9頁
今回も『泰平江戸往来』の輪読を行った。江戸に集荷される、各地の物産が羅列される部分だ。ふりがな付きの文章なので比較的円滑に読めるが、見慣れぬ漢字が多く、それらの解明に時間を要した。
また、次々に出てくる各地の名産や産地を巡って、人生経験豊富な参加者たちからの関連情報が飛び交い、輪読の進捗は2頁半に止まった。
次回の部会は10月19日(木)。同テキストの10ページから。 (布施記) |
2023/7/20 13:30~15:30 参加 : 16名 |
*輪読した頁 1~7頁
前回講師H氏不在の中、参加者全員で読み進んだ部分を、今回はH氏が主導して輪読形式で読み返した。
城内(多分江戸城?)の正月祝賀の様子を綴る文面は、ふりがな付きとはいえ結構難解だ。本書は寺子屋などのテキストとして使われていたそうだが、当時の庶民がこれほどの高度な内容のものを習っていたことに驚きを覚える。 江戸時代の庶民の教養度合いが推し量られて面白い。8月は休会で、次回は9月21日(木)、テキスト7ページの後半から。 (布施記) |
2023/6/15 13:30~15:30 参加 : 20名 |
*輪読した頁 1~7頁
今回から、新テキスト『泰平江戸往来』を読み始めた。講師を務めるH氏が今回都合により欠席となり、参加者の自習というかたちになった。
江戸時代に寺子屋などで使用された学習書で、ふりがな付きの文章だが、内容はけっして易しくない。参加者全員で字面を追って、何とか7ページ途中までたどり着けたが、 意味不明のところも多く、次回H氏の解説を待つこととなった。 (布施記) |
輪読会実施報告 (江の島紀行)
2023年1月 ~2023年5月
明治16年 俳諧文庫『江の島紀行』 筆者:晋永機 |
江戸後期-明治時代の俳人 穂積永機の記した旅日記です。晋永機(穂積永機)の俳号は其角堂。父である六代目 其角堂鼠肝に学び、七代目を継ぎます。
著名な俳人であった其角堂の句は、明治5年に作成された書画五拾三駅の「相模藤沢 山帰定憩」の絵にも添えられています。 |
年月日 (出席人数) |
内 容 |
2023/5/18 13:30~15:30 参加 : 16名 |
*輪読した頁 10 頁、全頁おさらい
前回読み残した『江の島紀行』(晋永機著)の最終ページの輪読を行った後、同テキスト全体の総括を行い読了した。
当時(江戸末期~明治初年)の博学な教養人の書いたものだけに、付随する知識がなければ作者の真意に辿り着けない箇所も多く、
なかなか難しいテキストであった。
次回からは、新テキスト『江戸往来』を読み始める。一般に「往来物」と呼ばれる書物のひとつで、明治以前の寺子屋や家庭で学習書として使用された。 今回の参加者に、新テキストのコピーが配られた。 (布施記) |
2023/4/20 13:30~15:30 参加 : 19名 |
*輪読した頁 6~9 頁
今月の輪読範囲は、筆者らが杜戸明神から、鎌倉、江の島へと観光し名勝にて俳句を詠みあっている箇所となった。明治初期のこととはいえ、皆が馴染みのある箇所を訪れている。
しかし、紀行には馴染みのない言葉が所々に綴られている。文字を解読し、納得の意味が得られるまでには、今回もまた皆で知恵を絞っての格闘となった。
難解だった明治の俳人たちの紀行文も、ようやく終わりが見えてきた。来月は、残りの10ページの輪読と、全体を通しての再読を予定。 6月からは、予定通り新しいテキスト『江戸往来』がスタートする。 (酒井記) |
2023/3/16 13:30~15:30 参加 : 19名 |
*輪読した頁 4~6 頁
今回も『江の島紀行』(晋永機著)の輪読を行った。今回のテキストはなかなか手強い。次々に現れる難解箇所の解釈を巡り意見が交錯し、
輪読は円滑に進まない。前回同様2ページ弱進んだところで時間切れとなり、吟行の終着地江の島はまだ見えない。次回4月20日の部会では、6ページ最後から4行目より読む予定。
また講師役を務めるH氏より、次のテキストについて、難易度の違う2案の提示があり、参加者の過半は易しい方の採用を希望した。 新たなテキストは、6月から使うことになりそうだ。 (布施記) |
2023/2/16 13:30~15:30 参加 : 17名 |
*輪読した頁 3~4 頁
前回から、新テキスト『江の島紀行』の読解に入っている。
まずはリード役のH氏から、テキストに登場する江戸末期から明治にかけて生きた、4名の俳人たちについての説明があった。 そして輪読に入ったが、漢字部分の読解に参加者たちは悩まされた。 複数の解釈が可能な文字や地名については、正解を断定できない部分もあり、ほぼ2ページ分のみの進捗に止まった。 次回はテキスト4ページの最後の行からで、参加者の眼がテキストに慣れ、今後進捗がはかどるかどうか・・・ (布施記) |
2023/1/19 13:30~15:30 参加 : 20名 |
*輪読した頁 1~3 頁
前回やり残した『知光院東海道旅日記』数ページの総括を行い、前テキストを読了した。引き続き、新テキスト『江の島紀行』の読解に入った。
まずはリード役のH氏が読み始め、3ページの2行目で時間となった。今度のテキストは俳句が主体で漢字が多く、その読解に難儀しそうだ。 次回からは参加者による輪読に移る。 また、メンバー有志による『江ノ嶋鎌倉美知志留邊』翻刻作業完了が報告された。成果物は近々、当ホームページにアップされる予定。 (布施記) |
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輪読会実施報告( 知光院東海道旅日記(仮題) )
2022年6月 ~2023年1月
「知光院東海道旅日記(仮題)」 筆者:知光院( 岩倉洗子〔すがこ〕 ) |
文政 7 年(1824)11 月、公家の鷹司〔たかつかさ〕家へ出仕し、翌 8 年 8 月に同家の鷹司祺子〔やすこ〕(仁孝天皇(1817~1846)の女御、新朔平門院)の女官として供奉。
弘化 4 年(1847)10 月、同院崩御につき剃髪、知光院と改名。 |
年月日 (出席人数) |
内 容 |
2022/11/17 13:30~15:30 参加 : 16名 |
*輪読した頁 12~14 頁
『知光院東海道旅日記』の最終部分を輪読した。
作者の旅はすでに終わり、周囲の人達への挨拶や、江戸から変わったばかりの東京の様子や新生活への思いなど、これまでの旅日記とは異なる内容と、 難読崩し字の連続に、参加者一同解読に苦労したが、何とか読了した。次回12月15日の会では、このテキストの総括を行う。 また、1月から読み始める新テキスト『江の島紀行』を配布予定。 会合の前には、メンバー有志による前々回テキスト『江ノ嶋鎌倉美知志留邊』翻刻作業の継続打ち合わせを行った。 (布施記) |
2022/10/20 13:30~15:30 参加 : 15名 |
*輪読した頁 9~12 頁
『知光院東海道旅日記』を引き続き輪読した。
駿州・蒲原を出立して東をめざす筆者の旅も、最終段階に入った。部会メンバーも筆者の筆遣いにだいぶ慣れ、東海道に連なる地名を辿りながら、しばし輪読は順調に進んだ。 そして早くも品川到着となったが、ここから難解な箇所が続出して、輪読の進捗速度はやや鈍った。 次回は12ページの後ろ9行目から。本テキストも残りあとわずかで新年からは、江戸後期から明治時代の俳人・穂積委永機の江ノ島への旅日記を新テキストとする予定。 また会合の後、メンバー有志による前々回テキスト『江ノ嶋鎌倉美知志留邊』翻刻作業の継続打ち合わせを行った。 (布施記) |
2022/09/15 13:30~15:30 参加 : 15名 |
*輪読した頁 7~9 頁
引き続き『知光院東海道旅日記』を輪読した。今回久しぶりに、コロナ禍による使用制限の解除された推進センターに戻っての開催となった。
当会場A会議室の机配置は全員が対面する「ロの字型」のため、参加者同士の対話がやりやすい。
そのため、文字の解釈や文章に表れる地名などを巡っての、質疑応答や情報交換が活溌に行われた。話し合いに時間が割かれた分、テキスト輪読の方はさほど進まなかった。 今回の作者の旅は、7ページ後半の岡崎出立から、9ページ中間の蒲原泊まで。 また会合に先立ち、メンバー有志が、前々回テキスト『江ノ嶋鎌倉美知志留邊』翻刻の継続打ち合わせを行い、核心となる作業部分を概ね完了した。 (布施記) |
2022/07/21 13:30~15:30 参加 : 16名 |
*輪読した頁 4~7 頁
今回も引き続き、『知光院東海道旅日記』を輪読した。作者の旅は順調に進んでいるが、輪読の方は難解な部分の解釈を巡って、しばし滞りがあった。
それでも道中記の特徴と言える、類似した記述の繰り返し部分は読みやすく、また作者の書く崩し字の特徴にも、徐々に目が慣れつつある。
今回の輪読は、7ページ後ろから9行目まで。旅は三州岡崎まで到達。 また会合のあと有志が残り、前々回テキスト『江ノ嶋鎌倉美知志留邊』の翻刻作業を行った。 (布施記) |
2022/06/16 13:30~15:30 参加 : 19名 |
*輪読した頁 1~4 頁
今回から、新テキストの『知光院東海道旅日記』を読み始めた。江戸末期に天皇の女御に仕えた女性が、女御の死去に伴い剃髪し、明治4年京都から東京の実家へ戻るまでの旅日記だ。
前のテキストとは違った女性特有の文体もあり、参加者にとっては新たな挑戦となる。輪読ではパスする人が目立ったが、かなり読みこなせる人もあり、京都を発って草津宿を過ぎたあたりの、4ページ後半まで読み進んだ。 また前テキスト『御所奉公東日記』の翻刻が、参加者全員に配布されることになった。 (布施記) |
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輪読会実施報告( 御所奉公東日記 )
2022年4月 ~2022年5月
「御所奉公東日記」 |
『御所奉公東日記(ごしょほうこうあずまにっき)』 万亭応賀 作 ; 一猛斎芳虎 画 |
年月日 (出席人数) |
内 容 |
2022/05/19 13:30~15:30 参加 : 17名 |
*輪読した頁 5~7 頁
先月に引き続き、幕末の戯作者・万亭応賀著『御所奉公東日記』4編序を輪読した。字体にはだいぶ慣れてきたが、相変わらず文字が不鮮明なところも多く、7ページの途中まで読んだところで時間切れとなった。
読み切れなかった部分は、講師役の細井さんが訳文を作成し、メンバーに配布する予定。
次回6月からは、新たに『知光院東海道旅日記』を読み始めることとなり、本日の参加者にテキストが配られた。一方、先のテキスト『江ノ嶋鎌倉美知志留邊』の翻刻版作成は、メンバー有志による作業が継続中。 (布施記) |
2022/04/21 13:30~15:30 参加 : 21名 |
*輪読した頁 1~5 頁
今回より、幕末の戯作者・万亭応賀の書いた『御所奉公東日記』4編序を、テキストとして読み始めた。
テキストの書物には、大きな挿絵の周囲に、小さな仮名文字がギッシリと詰めて書かれている。
作品の舞台は鎌倉時代で、現在放映中のNHK大河ドラマの登場人物が重なり、面白そうな内容だが、文字が不鮮明なところもあり、多くのメンバーは読解に難渋した。
5ページの途中まで読了。
(布施記) |
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輪読会実施報告( 江ノ嶋鎌倉 美知志留邉 )
2021年6月 ~ 2022年3月
「江ノ嶋鎌倉 美知志留邉」 |
江戸時代後期の俳人 「閑齋」による旅日記です。
※古文書会の成果物として、本書の翻刻版を作成しました。 |
年月日 (出席人数) |
内 容 |
2022/3/17 13:30~15:30 参加 : 18名 |
*再読した頁 32頁~最後
先月まん延防止等措置法実施期間により休会したため、2ヶ月ぶりの会合となった。
参加者は18名で、『江ノ嶋鎌倉美知志留邊』の読み飛ばし部分における意味不明点や、解釈の分かれる点などを、参加者一同で検討し合った。 (布施記) |
2022/1/20 13:30~15:30 参加 : 13名 |
*再読した頁 13~32頁
年初の部会は、オミクロン株感染急拡大の影響もあり、参加者は13名と、いつもより少なかった。
冒頭参加者には、3月から読み始める新テキスト『御所奉公東日記』のコピーが配られ、その概要の説明がなされた。 (布施記) |
2021/12/16 13:30~15:30 参加 : 18名 |
*輪読した頁 61頁~最後
『江ノ嶋鎌倉美知志留邉』の最終部分を輪読した。作者一行の旅は、品川宿での宴会でお開きとなった。 (布施記) |
2021/11/18 13:30~15:30 参加 : 19名 |
*輪読した頁 55~61 頁
引き続き『江ノ嶋鎌倉美知志留邉』の輪読を行った。メンバーは文体に慣れたようで、テキストの55ページから、61ページの8行目まで読み進んだ。江の島巡りを終えた作者一行は藤沢に出て帰途につき、戸塚、保土ケ谷を経て、神奈川宿まで辿り着く。
文章に出てくる地名や名所は現在も残るもの、あるいはすでに失われているものもあり、メンバーの間で、それらに関するやり取りが行われた。 (布施記) |
2021/10/21 13:30~15:30 参加 : 20名 |
*輪読した頁 49~54 頁
『江ノ嶋鎌倉美知志留邉』を読み始めて4回目。反復的記述の部分を大幅に読み飛ばし、道中記の舞台は江の島へと飛んだ。
今回も輪読形式で行われたが、弁財天の岩屋や稚児ヶ淵など、今に繋がる島内馴染みの名所探訪の記述が多いこともあり、参加者たちは概ね円滑に読みこなしていた。 (布施記) |
2021/09/16 13:30~15:30 参加 : 20名 |
*輪読した頁 6~12 頁
『江ノ嶋鎌倉美知志留邉』を読み始めて3回目の今回は、初めて参加者の輪読形式で進められた。
著者独特の文章の言い回しや文字づかいにだいぶ慣れてきたせいか、淀みなく読みこなす参加者もいた。 (布施記) |
2021/07/15 13:30~15:30 参加 : 21名 (+ 見学1名) |
*輪読した頁 2~6 頁
引き続きテキストの『江ノ嶋鎌倉美知志留邉』を、講師役のH氏のリードで読む。難解な変体仮名への挑戦は続き、江戸を発った著者・閑斉たちの旅も、大森を過ぎたところで時間切れ。
* テキストの変更などに伴い、ここのところ新規入会者が多く、当日参加された5名の方に、簡単な自己紹介をしていただいた。現在の入会者数は合わせて27名。 (布施記) |
2021/06/17 13:30~15:30 参加 : 23名 |
*輪読した頁 1 頁
江戸時代後期の俳人である閑齋の記した『江ノ嶋鎌倉美知志留邉』を新しいテキストとして、講師役のH氏のリードで読み始めた。前のテキストに比べ、新テキストは仮名文字の多い文体。参加者たちの、難解な変体仮名への挑戦の旅が始まった。
閑齋一行の江の島、鎌倉を目指す遊山の旅も、江戸出発直後に降り出した春雨に遮られ、早くも難渋の様子。 * 今回から新テキストの開始ということで、新規参加者が7名あり、 (布施記) |
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輪読会実施報告( 太平年表録 )
2017月4月 ~ 2021年5月
年月日 (出席人数) |
内 容 | ||||||||||||||
2021/05/20 参加 : 18名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」四編
元治元〜二(1864〜1865)年の出来事が記されている。
江戸城の本丸が炎上し、将軍と和宮様は紅葉山へ転居された。 また、日本橋の三井呉服店が炎上し、焼け跡の張り紙に、夷賊と交易を結び高利を貪る不届き者とののしられてた。 再度の将軍の上洛に当たり船で行くことに決まった。12月27日江戸城から水路で浜御殿に赴き、蒸気船に乗り換えて浦賀に帰港、船に一泊し、大晦日に紀州表に到着した。 天皇からは攘夷布告の要求があったが、幕府がこれを逃れる構図は変わらなかった。将軍は再び蒸気船を使って江戸へ向かった。 長州征伐を告げる幕府の通達が紹介されている。長州藩士が武器を携帯して御所周辺に集まっているが、不届きなので長州藩を征伐すべし、との天皇の仰せを受けて幕府は征伐に向かう旨、諸大名に通達している。
*「太平年表録」の輪読は 5月で終了し、 |
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2021/04/15 参加 : 18名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」四編
文久〜元治年間 (1861〜1864年)の情報が記されている。
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2020/12/17 参加 : 14名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」四編
将軍・徳川家茂が文久3 (1863) 年 2月に孝明天皇に面会のため上洛したときの様子が記されている。 |
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2020/11/19 参加 : 14名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」四編
将軍・徳川家茂が孝明天皇に面会のため上洛したときの様子が記されている。 |
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2020/10/15 参加 : 18名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」四編
文久2 – 3 ( 1862-3 )年の「文久の改革」と呼ばれる改革の状況。 |
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2020/9/17 参加 : 18名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」四編
文久2(1862)年の「文久の改革」と呼ばれる江戸幕府における改革の状況。米国など外国との通商を開始するにあたって、参勤交代の改革が必要であることを表明し、改革の開始を幕府が宣言した。 |
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2020/7/16 参加 : 20名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」四編
文久2(1862)年の「文久の改革」と呼ばれる江戸幕府における改革の状況。主導者は薩摩の島津久光らであった。 |
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2020/6/18 参加 : 22名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」四編
文久元(1861)年、公武合体のため皇女和宮と将軍家茂との結婚が決められたが、和宮は東海道ではなく中山道を下って江戸へ向かった。 |
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2020/2/20 参加 : 20名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」三編
前月読んだ安政6 (1859)年7月の一分銀の相場の変動について、幕府の番所が発信した急触れ書において、相場変動は浮説であると通達している。 |
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2020/1/16 参加 : 20名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」三編
新鋳造の貨幣である一分銀の動向が記されている。 * 今年初めての輪読会でしたので、茶話会を開き出席者相互の親睦を図りました。 |
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2019/12/19 参加 : 21名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」三編
安政の大獄を指導した井伊直弼が暗殺された桜田門外の変に関する史料を輪読した。 |
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2019/11/21 参加 : 19名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」三編
「開港直後の横浜を歩いた記録」 |
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2019/10/17 参加 : 17名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」三編
「安政の大獄」に関する記述。 * 9月の輪読内容に関連して、長嶺敬子氏から茅ケ崎・宝蔵寺の“ころり供養塔”の調査結果につき報告があった。 |
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2019/9/19 参加 : 19名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」三編
安政5(1858)年に流行したコレラに関する記述。 |
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2019/7/18 参加 : 18名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」三編
外国船の来航に対し海防警備の体制として、江戸湾内の備え場の相模•上総•本牧などの台場をはじめ、
京都•大坂•堺•兵庫•松前などの開港によって外国人の上陸が予想される地域の警備を大名たちに課していた。 |
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2019/6/20 参加 : 17名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」三編
安政四(1857)年十月に来日したアメリカ総領事タウンゼント•ハリスは、老中•堀田備中守ほかの幕府代表とたびたび会見し、
日米通商条約の交渉を行った。 前月に引き続き、通商条約(案)の条項を輪読した。
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2019/5/16 参加 : 19名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」三編
安政四(1857)年十月に来日したアメリカ総領事タウンゼント•ハリスは、老中•堀田備中守ほかの幕府代表とたびたび会見し、
日米通商条約の交渉を行った。前月に引き続き、通商条約(案)の条項を輪読した。
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2019/4/18 参加 : 16名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」三編
安政四(1857)年十月に来日したアメリカ総領事タウンゼント•ハリスは、老中•堀田備中守ほかの幕府代表とたびたび会見し、
日米通商条約の交渉を行った。
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2019/3/21 参加 : 16名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」三編
安政三(1856)年十月、初代アメリカ総領事のタウンゼント•ハリスが江戸城において 将軍•家定に謁見し、アメリカ大統領からの国書を手渡した。
それ以後、ハリスは老中•堀田備中守ほかの幕府代表にたびたび会見し、アメリカ公使の駐在の件、日米通商条約の件、開港する湊の件などにつき
交渉に入った。 |
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2019/2/21 参加 : 19名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」二~三編
安政三(1856)年十月、初代のアメリカ総領事であったタウンゼント•ハリスは江戸城で将軍•家定に謁見し、アメリカ大統領の国書を手渡した。
さらにハリス総領事は老中•堀田備中守と会見し、アメリカ公使駐在の件、日米通商 条約の件につき交渉に入った。
*輪読の内容に関連し,次の会員研究発表があった。 |
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2019/1/17 参加 : 18名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」二編
安政三(1856)年十月、日米和親条約に基づき初代のアメリカ総領事に任命されたタウンゼント•ハリスが江戸城へ登ったときの状況が述べられている。 |
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2018/12/20 参加 : 14名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」二編
安政三(1856)年八月二十五日、夕方から降りだした大雨の記録。筆者は江戸 出府のため午後二時頃、南湖の家を出たところ、
大風雨に会いやむを得ず藤沢宿に 宿をとった。夜中に風が和らいだので、夜明け前に帰宅しようとしたところ、
川の水位が上がり橋が危険であった。倒壊した屋敷を越えて、四ッ谷の伊勢屋に来ると 半壊の状態だった。
街道には古い松の木が倒れていた。田圃はあたかも湖のよう であった。 |
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2018/11/15 参加 : 19名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」二編
安政三(1856)年三月十八日の正午ごろ、突然霰が降ってきた。五〜八寸(15〜25cm)も積もった。
翌日に消えたが、日陰には三、四日残った。
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2018/10/18 参加 : 15名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」二編
9月に輪読した安政二(1855)年の海岸防備のため寺院の梵鐘を供出し大砲小銃を鋳造する件につき、
部員から「太政官府」の通達文の紹介があった。 史実として梵鐘の供出は極めて少なかった。
そのほか、東海道など街道筋の状況を記している。 |
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2018/9/20 参加 : 15名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」二編
安政二(1855)年、朝廷(孝明天皇)の意図として、海岸防備のため諸国の寺院にある梵鐘を供出させて
大砲や小銃の材料にしたいという通達が出た。 |
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2018/7/19 参加 : 17名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」二編
1854年11月に改暦があり、年号が嘉永から安政に替わった。これを祝して武家屋敷では法螺太鼓を吹き鳴した。 |
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2018/6/21 参加 : 20名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」二編
嘉永7(1854)年11月に発生した地震の被害状況。 |
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2018/5/17 参加 : 19名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」二編
嘉永7(1854) 年、再度の来日をしたアメリカ艦隊への種々の対応が述べられている。日本側の船には日の丸を掲げたとある。 |
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2018/4/19 参加 : 18名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」二編
嘉永7 (1854) 年、ペリーが江戸幕府の返答を 求めて、再度の来日をしたときの記録。
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2018/3/15 参加 : 21名 2018/2/15 参加 : 18名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」初編
嘉永 7 (1854) 年, 黒船の江戸湾来航に対応して、その防備に関する御触書が幕府から各大名に発行された。
松平和泉守、阿部伊勢守、松平加賀守、松平壱岐守、
ことに、松平越中守への書面は詳細な長文である。 |
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2018/1/18 参加 : 14名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」初編
<黒船が再び来航> |
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2017/12/21 参加 : 17名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」初編
<高松芳孫からの上書> * その他
関連文書として井伊直弼の嘉永6(1853) 年 8月の意見書「初度存寄書」を解読した。 |
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2017/11/16 参加 : 21名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」初編
ペリーの来航により、アメリカ大統領から国書がもたらされた。 |
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2017/10/19 参加 : 10名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」初編
「道光二十二年青圍策文」 中国語の文献。 * その他 変体仮名で書かれた食物の資料を読み、勉強した。 |
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2017/9/21 参加 : 16名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」初編
「日本考略 翻訳」 嘉永 3 (1850)年の翻訳、原本はドイツ語であったのを
オランダ人が蘭訳し長崎へ持参したものを、オランダ語の通詞が和訳した。
* その他 7 月に実施された公的な古文解読試験の問題文を解読し、勉強しました。 |
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2017/7/20 参加 : 16名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」初編
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2017/6/15 参加 : 17名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」初編
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2017/5/18 参加 : 18名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」初編 浦賀御奉行 井戸岩見守 <以下 42名の長官の記載 >
総勢 合三十九万六千余人
予六日藤沢より友を得て彼之地へこえ一泊して翌七日西浦賀高丘へ登り遠鏡を携へ一覧するに亜墨利加船四艘也
宮田御陣屋 井伊掃部頭 総勢二千三百人程 右御大将に錦繍之陣羽織を着用、士卒は陣笠に白きたすきをかけ抜身の槍に火縄附の鉄砲を携へ、 亜墨利加の上陸を俟たりける、 豈蒸気船より人数四百八十人を繰出し、十八艘の扁舟に打乗上陸する、其行列は 六十人を一伍として八組にわかち各黒白の着服なり、腰より以上黒 腰より以下白中にも 総首二人は十八人の伶人を左右に随ひ、音楽に応してしづしづと惟幕の中に入て面謁、 冠頂異形の禮服なり、筐中の棒書左に 合衆国伯里爾天徳書翰和解 |
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2017/4/20 参加 : 20名 |
*テキスト 藤間柳庵「太平年表録」初編
藤間柳庵 (1801 ~ 1883) は高座郡柳島村の名主であり、家業は江戸と柳島を結ぶ廻船業であった。 *輪読した頁 1頁 ~ 3頁前半
発端 |
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年月日 (出席人数) |
内 容 |
2017/3/16 参加:17名 |
テキスト: 天和2年(1682)8月、藤沢宿に宿泊した朝鮮通信使を饗応した記録 別紙 テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。 *要旨 |
2017/2/16 参加:17名 |
テキスト: 朝鮮人一件御用留帳 テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。 *要旨 |
2017/1/19 参加:16名 |
テキスト: 朝鮮人一件御用留帳 テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。 *要旨 |
2016/12/15 参加:16名 |
テキスト: 朝鮮人一件御用留帳 テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。 *要旨 |
2016/11/17 参加:17名 |
テキスト: 朝鮮人一件御用留帳 テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。 *要旨 |
2016/10/20 参加:16名 |
テキスト: 朝鮮人一件御用留帳 テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。 *要旨 |
2016/9/15 参加:15名 |
テキスト: 朝鮮人一件御用留帳 テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。 *要旨 |
2016/7/21 参加:15名 |
テキスト: 朝鮮人一件御用留帳 テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。 *要旨 |
2016/6/16 参加:15名 |
テキスト: 朝鮮人一件御用留帳 テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。 *要旨
|
2016/5/19 参加:18名 |
テキスト: 朝鮮人一件御用留帳 テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。 *要旨 *藤沢宿における見積―素材の見積の例 |
2016/4/21 参加:20名 |
テキスト: 朝鮮人一件御用留帳 テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。 *要旨 *壱岐勝本・備前藍嶋・長門赤間関・周防上ノ関・安芸上蒲刈・ |
2016/3/17 参加:17名 |
テキスト: 朝鮮人一件御用留帳 テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。 *要旨 |
2016/2/18 参加:14名 |
テキスト: 朝鮮人一件御用留帳 テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。 *要旨 |
2016/1/21 参加:19名 |
*テキスト:御触書 道中筋之部 本来のテキストである延享4(1747)年の「朝鮮人―件御用 留帳」と関連の深い「御触書 道中筋之部」正徳2(1712)年 という史料を輪読した。 その史料の一部を別紙 <コチラ> に添付する。 ることが判る。 |
2015/12/17 参加:17名 |
テキスト: 朝鮮人一件御用留帳 テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。 *要旨 |
2015/11/19 参加:16名 |
テキスト: 朝鮮人一件御用留帳 テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。 *要旨 *関連事項の勉強 |
2015/10/15 参加:15名 |
テキスト: 朝鮮人一件御用留帳 テキスト本文は <コチラ>をクリックしてご覧下さい。 *要旨 1)人馬留め矢来(臨時の囲い)の過去の絵図を提出 中村恵司氏から「雨森芳酬」(1668 - 1755, 朱子学者) に関して調査した結果につき解説があり、拝聴した。 6人来朝に対して、東海道の品川から淀まで17の宿場の 年寄りが合同で提出した契約書である。幕府からの指令に 対し、誠意をもって対処すると述べられている。 |
2015/9/17 参加:18名 |
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2015/7/16 参加:20名 |
テキスト: 朝鮮人一件御用留帳 * 要旨:幕府の役人6人来朝に対して、東海道の品川か |
2015/6/18 参加:20名 |
テキスト: 朝鮮人一件御用留帳 *要旨:朝鮮人来朝に対し、戸塚•藤沢•平塚•大磯の4宿 |
2015/5/21 参加:13名 |
テキスト: : 朝鮮人一件御用留帳 * 要旨:朝鮮人の来朝に対し、戸塚・藤沢・平塚・大磯の 各宿場の年寄が共同して、代官所へ提出した意見書の控え 輪読:テキストの17~19頁(テキスト本文は <コチラ>を クリックしてご覧下さい) |
2015/4/16 9時30分 JR茅ヶ崎駅 改札口集合 参加:17名 |
会員長嶺敬子氏の案内により、大山街道筋の史跡(熊野 神社-唖禅坊の句碑-水越家の長屋門)を見学し、次いで 茅ヶ崎の某家宅を訪問しました。そちらは茅ヶ崎の旧家 であり、昨年まで輪読していた「御仕置御定書」の写本 を保存しておられます。同書を部会のテキストに使用し 、昨年末に解読を完了しました。同家のお庭を借用して 昼食をとり、歓談をいたしました。 |
2015/3/19 参加:19名 |
テキスト: : 朝鮮人一件御用留帳 輪読: テキストの9~16頁(テキスト本文は <コチラ> を |
2015/2/19 参加:20名 |
テキスト: : 朝鮮人一件御用留帳 輪読: テキストの
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2015/1/15 参加:15名 |
*御仕置御定書 <九六>御仕置仕形之事 これが最終章であり、刑罰の内容を総括している。 鋸挽、磔、引廻之上獄門、火罪、斬罪、死罪、下手人、 |
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年月日(人数) | 内 容 |
2014/12/18 (出席15名) |
*御仕置御定書 <九六>御仕置仕形之事 これが最終章であり、刑罰の内容を総括している。 鋸挽、磔、引廻之上獄門、火罪、斬罪、死罪、下手人、 |
2014/11/20 (出席16名) |
*御仕置御定書 <九一>村方帳面無印村役人咎之事 帳面を公開せず捺印してない役人は罰金とする <九二>軽悪事之者出牢之事 軽犯罪者が六〇日以上取調べを受けた場合は、 さらに数日入牢させて宥免とする <九三>妻を売女致候御仕置之事 妻の同心を得ずに売女とした者は死罪とする <九四>追放入墨に成り候者ならびに悪事致し候者御仕置之事 追放されている地域を徘徊し悪事を犯した者は入墨とし、 さらに悪事を重ねた者は死罪とする <九五>私に枡秤造り相用い候者之事 枡秤を私造して軽重大小に相違がなければ、咎めは軽くする |
2014/10/16 (出席14名) |
*享保撰要類集 <五>および<六> 死罪を実施する日は、祝儀や将軍家の忌 日や誕生日を避ける <七>処罰を実施する際は、例書(判例書)を添える *御住置御定書 |
2014/09/18 (出席19名) |
*享保撰要類集(八代吉宗時代の法令先例集) <四>鷹匠に属する餌差の役人が人馬を強要し金銭を借用 したので、極門(=獄門、処罰するの意)にする。また 品川の名主が地位を悪用している疑があり、処罰する。 *御仕置御定書 遠嶋再犯御仕置の事 島流しの刑に服している者が再犯した場合は、一段階 重い 罪とする。 |
2014/07/17 (出席15名) |
*享保撰要類集(八代吉宗時代の法令先例集) <壱>乱気にて殺人をした者は牢に入れ、本性に戻ったら 遠島にする。 <弐>無尽金を持って逐電した者は死罪とする。 <参>白紙手形による借り金は犯罪である。 *御仕置御定書 |
2014/06/19 (出席17名) |
*仕置問答 *御仕置御定書 |
2014/05/15 (出席17名) |
*仕置問答 役人である代官が領主や郡代の眼を盗んで、公金300両を 横領し遣い込んでしまった事件が発生。 これにつき幕府側からの回答は、罪は遠島か死刑である が、さらに詳細に調査するように、とのことであった。 *御仕置御定書 |
2014/04/17 (出席17名) |
*仕置問答
強盗殺人犯は引回しの上、獄門。
犯人の親族が犯行の実態を全く知らない場合は、無罪と
する。 *御仕置御定書 / 徳川禁令考 科人欠落ち尋ねの事。6ヶ月間捜査し、逮捕できない場
合はさらに追跡する。 |
2014/03/20 (出席16名) |
*仕置問答
日光街道の杉戸宿の足軽が他人に手疵を負わせ出奔した
が、6ヶ月が過ぎ行方不明である。 幕府からの指示、さらに追跡せよ。
*御仕置御定書/徳川禁令考
あばれ者・酒狂人の仕置、療治代の記事。
御仕置き。 |
2014/02/20 (出席19名) |
*仕置問答
放火により入牢中に脱獄し再逮捕された罪人。
恩赦の対象にならず、死罪。
*御仕置御定書
誤認逮捕、弓鉄砲による怪我、結婚式の石投げに対する
御仕置き。 |
2014/01/16 (出席16名) |
*元文2(1737)年「大岡越前守日記」 1月朔日の日記から、将軍吉宗および後の家茂と諸大名と の江戸城における新年の儀式を読む。 *仕置問答 |
2013/12/19 (出席13名) |
*仕置問答 牢屋から逃げた者の処置 <幕府の判断>当人は一等重罪とし、不寝番の者は中追放 とする。 の道具を差入れた場合は処罰。 *御仕置御定書 似せ金銀、毒薬、似せ天秤?枡?朱墨の御仕置。 |
2013/11/21 (出席16名) |
*下男下女が密通し相対死をはかり、下男が下女を殺した が、自害を仕損ねた。 *御仕置御定書 |
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