第3回 ブラさがみ 「江戸の旅人気分で品川宿を歩く」
- 投稿日
- 執筆者
- 梶浦清敏
- 掲載元
- ミニだより114号
2024年10月11日(金)

10月11日、あの連日の猛暑からは解放されて、心地よい秋晴れの日となりました。地名の会の皆様の日頃の行いが良かったのでしょうね。
さて、品川宿は東海道の最初の宿場、そして江戸へ向かう最後の宿場。旅人たちはどんな思いを抱いてこの品川宿を歩いたのでしょう。広重の絵にもあるように、品川宿は海辺の宿場町。海際の海道を歩き、帆掛け船が浮かぶ美しい景色を楽しむこともできたはずです。日本橋から2里(約8km)ということもあって、日帰りもできるし、ゆっくりと1泊で楽しむこともできたことでしょう。

最初に訪れたのは「問答河岸跡」、近くの東海寺の沢庵和尚が三代将軍家光から「海近くして東(遠)海寺とはこれいかに」と問われ、「大軍のみ率いても将(小)軍というがごとし」と当意即妙の答をしたといわれている場所からのスタートです。
鎮守様として崇敬されていた品川神社では、巨大な富士塚を横目に、登り龍・下り龍の大鳥居、七つの石鳥居くぐり、一粒万倍のご神水、板垣退助の墓などを訪ねました。
幹線の第一京浜国道が別に作られたためなのか、現代の品川宿は道幅も狭いままで残されています。交通量も少なく、古くからの和菓子屋さんや畳屋さん、履物屋さんなどの古い看板も所々に見られました。昭和初期に建てられた交番も、今は観光案内所として使われています。
東海道の山側にはお寺や神社が沢山あり、信仰も盛んだった様子がうかがえます。天妙国寺というお寺は、徳川家とゆかりのあるお寺ですが、家康は1回、二代徳川秀忠は2回、三代徳川家光はなんと44回もこの寺に宿泊した記録があります。なにか特別な思い入れがあったのでしょうか。
品川寺(ほんせんじ)には「江戸六地蔵」の一つが鎮座していました。座像なのに2メートル75センチもある巨大な地蔵です。またこの寺の鐘は六観音像が浮き彫りにされ、観音経一巻が陰刻されている珍しいものです。明治時代になって「洋行帰りの鐘」と呼ばれました。
最後は、品川の荒神様と呼ばれた海雲寺を訪ねてから、解散場所の青物横丁駅へ向かいました。
お天気に恵まれた、すがすがしい一日でした。お疲れさまでした。

(参加者:39名)