第283回例会 地名探訪「辻堂」のゆかりの地をめぐる
- 投稿日
- 執筆者
- 山本好久
- 掲載元
- ミニだより119号
2026年3月20日(金)/24日(火)
辻堂探訪 「辻堂」のゆかりの地をめぐる
2026年3月20日(金)、24日(火)の二日間にわたり、辻堂探訪が行われました。両日ともお天気が良く、風も穏やかで絶好の探訪日和となりました。
今回は、「辻堂」のゆかりの地をめぐるというテーマで探訪を行いました。前回2020年に行われた辻堂の探訪では道を中心に訪問しましたが、「辻堂」の名前の由来となる寺院、また辻堂の中心地であった「四つ角」、「十七氏族」、「東西南北町」などをキーワードに訪問しました。
住民の請願によって大正5年に日本で初めて開設された辻堂駅の開設記念碑を出発地点として、2021年に新たに有形文化財に指定された福岡家を訪問しました。特別に屋敷内に入り、現在のご当主福田孝純さまより茅葺建築物の改修の話から明治新政府で活躍された曾祖父福岡孝弟の話まで詳しいお話を聞くことができました。駅から続く道路の真ん中に立っている楠が福岡家のシンボルツリーであり、道路工事の際に土地提供をしたが楠は残してほしいとの要請から現在も残っているといったお話も聞くことができました。
辻堂の地形は砂丘列の続く農業には不向きな土地で、その昔は松林が続く土地であったようです。八つの的をかけて弓の練習を行っていたことから「八的ヶ原」⇒「八松ヶ原」になったと言われ、現在も八松の付く神社(八松稲荷社)、寺社(八松山明王院宝珠寺[俗に北の寺])、学校(八松小学校)などがあり、地名との繋がりを感じることができました。
砂丘は弓の練習場から江戸時代には砲術の訓練場、明治時代には海軍の演習場として利用されました。日露戦争でバルチック艦隊を破った一要因と言われる下瀬火薬の実験に使われた厚い鉄板が八森神社の境内に残っているのも辻堂の歴史を感じることのできる場所かと思われます。
小田原北条氏が当地を治めていたころ移り住んだと言われる十七氏族が集落を作った「四つ角」を中心に東西南北の町が作られました。四つ角付近には十七氏族の方々の大きな屋敷もありますし、それぞれの町に道祖神があったり、辻堂の鎮守である諏訪神社の例祭で出される各町内の山車を格納している大きな倉庫が各町内にあることを確認しながら歩くことで、辻堂の成り立ちを体感できたのではないかと思います。
今回の辻堂探訪の主担当は中村智子さんでしたが、本企画をもって中村さんは運営委員を退任されます。福岡家でのご当主のお話、第六天の碑がある石井家敷地内への立ち入りなど、地元の利を生かした辻堂探訪ができました。これも中村さんのコミュニケーション力のなせる業だと思います。中村さんありがとうございました。
(参加者:2日間計51名)
地名探訪