中岡裕志の歩いて楽しむ史跡巡り 「滝山城」
- 投稿日
- 執筆者
- 中岡裕志
- 掲載元
- ミニだより112号
戦国時代小田原北条氏の支城であった「滝山城」を歩いてみました。
滝山街道から「滝山城址公園」ののぼりを左に見て坂を登る。右手に「三の丸址」を見ながら進むと、左手に「千畳敷址」の広場がある。
「二の丸址」を通って、「中の丸址」と「本丸址」の間の空堀に架かる引橋(木橋)を渡ると「本丸址」である。「史蹟滝山城跡」の石碑が立ち、井戸が残り、霞(かすみ)神社が祀られている。
中世の本丸跡や蛇苺
「中の丸址」には、二人の案内人が机にパンフレットを並べ、座っていた。「30分ほど案内しますか」と誘ってくれた。「本丸址」からは、多摩川や狭山丘陵・秩父方面が望める。道中では、10人ほどの朝の散歩の人に会う。今日は日曜日である。帰りは「二の丸址」から東に延びる古峯の道を「少林寺」方面に向かう。左手には「信濃屋敷址」「刑部屋敷址」「カジノ屋敷址」の家臣団住居址がある。
古戦場一匹の蚊に腕かまる
滝山城は、およそ490年前の大永元年(1521)山内上杉家の重臣で武蔵守護代大石定重が、この城の北西約1.5kmのところにあった高月城から移り築城したと伝えられる。定重の子・定久は、北条氏康の次男・氏照を養子として迎えると家督を譲った。滝山城が、大石氏から北条氏照の居城になったのは、永禄2年(1559)から永禄3年(1560)にかけてのことである。氏照が拡充した城は、当時関東屈指の山城と言われた。
山頂やぐいと飲み干す氷水
永禄12年(1569)甲斐の武田信玄が上野から武蔵に侵入して滝山城を攻撃した際に、城下に火をつけて「二の丸」まで攻め込んだと伝えられている。
*ハイキングは、桜の季節がお勧めとのことであった。