「中世の城・韮山城」

投稿日
執筆者
中岡裕志
掲載元
ミニだより113号

2024年5月15日(水)

韮山城跡のパンフレット

北条早雲公・終生の居城・韮山城に登ってきました。 大堀切を登ると大きな城池があり、5、6人が釣りをしている。 「何が釣れるの」と聞くと「鮒」と答える。 魚籠を見ると、釣れていない。池に沿って歩いていると、「ワー・ワー」との声が聞こえる。韮山高校のグランドで野球の試合をしている。バックネット裏では、ユニホームを着た野球同好会とも思われる5人ほど、近所の10人ほどが応援している。 女子マネージャーに「相手はどこの高校」と聞くと「川崎総合科学高校」と答える。スコアボードを見て「負けている」と言うとただ笑っていた。

春の日の熱き野球を観戦す

熊野神社

戻って坂を登ると「権現曲輪」である。熊野神社は、明応9年(1500)、宗瑞が勧請したといわれる。お参りして「二の丸」を通り「本丸」に着く。西方1.6km先には宗瑞が倒した茶々丸の「堀越御所跡」が見える。東側には豊臣軍が韮山城を包囲すべく陣を置いた山々が連なっている。

草むらに雲雀集ひし森の中

本丸跡

北条早雲は、康正2年(1456)備中荏原郷(岡山県井原市)を本領とする伊勢盛定の次男として生まれた。本名を伊勢新九郎盛時、出家後の法名を早雲庵宗瑞という。長享元年(1487)、宗瑞は姉・北川殿の子で甥にあたる竜王丸(後の今川氏親)の家督相続を救援するために駿河に向かった。明応2年(1493)、宗瑞は今川軍の総大将として茶々丸の領地である伊豆へ侵攻。明応8(1498)、茶々丸を倒して堀越公方を滅亡させた。

こうして、今川氏親の後見人でありながら、伊豆一国を領有する宗瑞が伊豆支配の拠点として築いた韮山城は、狩野川が形成した田方平野のほぼ中央にある。標高約50mの本城(龍城山)に、堀切で区切られた5つの曲輪(区画)が並ぶ構造である。その後、2代氏綱が北条苗字へ改称し、小田原城を拠点として関東を支配した。

永正16年(1519)、25を伊豆で過ごした宗瑞は、韮山城で死去すると修善寺で荼毘に付された。

帰りは、苺やトマトのビニールハウスの間を抜けて韮山駅へ向かった。

富士目差し雪解川沿ひ帰りけり

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