2024年度 第1回 地名探訪「初夏の御所見北を歩く」

投稿日
執筆者
布施克彦
掲載元
ミニだより114号

2024年6月25日(火)

6月下旬、御所見の空は重かった。実施予定第1日は、二日前の晴れ予報が一転大雨になって急遽中止。予備日の28日も、終日の雨でこれも中止。結局実施できたのは、当初2回目として予定していた6月25日だけとなった。

御所見の北部には、数々の伝説やドラマが隠れている。今回の探訪コースは、それらゆかりの場所が点在する用田、葛原地区を辿る約8kmのコースだ。主要街道が交わる用田辻を午前10時に出発。大型車の行き交う中原街道を北に進み、北西に延びる脇道に入る。列車の騒音が行き交う東海道新幹線のガードをくぐれば、その先には初夏の緑に包まれた静かな農村風景が広がっている。

奈良の当麻寺に残る国宝の曼荼羅を織り上げたとされる中将姫は、継母の過酷な仕打ちに耐えかねて逃避行を図り、この用田の地にしばし隠れ棲んだという。畑地の奥の低くなった場所に、中将姫の祠がある。周囲は木々に囲まれて、隠れ家としては絶好の場所だ。高貴な姫が奈良時代の都から、遙かなる用田の地にやってきたことはにわかに信じがたいが、伝説の背後には何かがあるはずだ。

用田地区の探訪スポットのほとんどに、戦国時代伊豆からこの地に移り、江戸時代を通して名主を務めた伊東家が絡んでいる。用田で帰農した伊東家は、継立場があった用田の地の利を得て、農業以外にも酒造り、質屋業、飛脚業、大名貸しなどの事業多角化で財を成した。幕末における瓦版の長者番付で全国第2位にランクインした程の富豪となったが、大正から昭和初期にかけて株式や商品相場で失敗し、本家、分家共に破産したという。伊東家の墓園には300基ほどの墓石が並んでいる。園内はやや荒れている。南側新幹線の線路の先に、本家分家の壮大な邸宅群が建ち並んでいたそうだが、今は畑地が広がるばかり。大富豪から没落へ、ドラマチックな伊東家の浮沈にしばし思いを馳せたいところだったが、墓園には蚊が飛び交っていて長居はできなかった。

伊東家墓園

用田以上に自然が残る葛原地区の目玉は、遠い平安時代の昔、都を離れた葛原親王が移り住んだと言われる御所の跡だ。今は畑地の中に小祠が建つのみで、「垂木の御所」と呼ばれた建物がこの地に建っていたことを想像するのは難しい。桓武天皇の王子といわれる葛原親王が、この地に来たという事実も確認できない。それでも、付近に鎮座し親王を祀る皇子大神の壮大な佇まいを見ると、単なる伝説として片付けられない気持ちにもなる。

皇子大神

雨が降ることはなかったが、蒸し暑さが半端ではなかった。午後2時過ぎに滝不動尊にて解散。参加者たちは、最寄りの葛野バス停へと向かった。

(参加者:24名)

地名探訪

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