第10回 ブラさがみ 「丹沢山の麓に抱かれた歴史の里 秦野に憩う」
- 投稿日
- 執筆者
- 佐々木道雄
- 掲載元
- ミニだより117号
2025年10月17日(金)
前日までの雨天が嘘のような秋晴れとなった10月17日(金)、一行34人を乗せたバスは秦野駅北口を9:30に出発。終点まで25分で蓑毛バス停に到着。バス停広場で挨拶と秦野(HADANO)の語音伝承を説明後、大日堂での現地ガイドをお願いした「秦野歴史おこしの会」が待つ大日堂へ向かった。大日堂本堂前には同会のメンバーによるほら貝や尺八の演奏によるもてなしがあり、更には同会小泉理事長、宝蓮寺東島住職、はだの大日堂保存会会長と過分な挨拶を受けた。2班に分かれて大日堂本堂、閻魔堂(茶湯殿)、不動堂、光西上人入寂地のガイド説明を受け、計1時間の大日堂見学を終えた。大日堂本堂は屋根瓦も崩れかかっており、本尊五智如来も中央の大日如来を除いては平安時代の作といわれるだけに劣化が激しく、痛々しさを感じる仏像であった。今回は修復中で見学出来なかった仁王門は10月末、阿吽の二王像は2027年に修復が完了するとのことであり、再訪を期待された。お礼の挨拶後、道路を挟んで向かいにある別当宝蓮寺を見学し、その後、2班別々に蓑毛越え大山道の緩い坂道を下った。

コースに沿ってはピーク時14~15軒あったという元御師の家、市内から移築された代表的な名産である葉たばこも生産していた農家の建物である緑水庵、大山阿夫利神社一の鳥居を見学しながら、約2km余りで旧寺山村にある波多野城趾に到着。大正年間に石碑が建立され、当地を訪れた作家永井路子は「これくらい、はっきりと中世武士の舘のおもかげを残すところはまずない」と著書『相模のもののふたち』で絶賛したが、その後に実施された発掘調査では遺構や遺物が発見されず、波多野氏舘跡との評価が薄れていた。このため、石碑の頭部を遠望して、次の目的地に向かった。源実朝の御首(みしるし)を三浦義村の家来であった武常晴が持ち込み埋葬したと伝わる金剛寺や、供養のために当時の当主であった波多野忠綱がそれまでの五輪塔を木造から石造に変えた実朝公御首塚(みしるしづか)を参拝し、最後に東田原中丸遺跡を見学した。この遺跡は2000年以降、数次の発掘調査の結果、鎌倉時代の遺物や建物跡が出土され、先の波多野城趾に代わる新たな波多野城趾あるいは居館跡候補と見られている。

ここで解散としたが、隣地にある田原ふるさと公園にある食事処では水車で石臼を引いて作った手打ちそばが名物で、何人かは遅くなった昼食を楽しんだよう。味はどうだったのでしょうか。
参加者:計34名