感応院で霊場巡り
- 投稿日
- 執筆者
- 中岡裕志
- 掲載元
- ミニだより118号
藤沢橋を渡り、遊行寺坂手前を右に曲がる。小さい滝ノ川橋を渡ると感応院である。開山は建保6年(1218)と伝えられ、藤沢宿では最古の寺院である。
山門をくぐる。蘇鉄が青々としている。後ろから「今日は」との声。振り向くと近所のAさんである。「奥さんが病気なので、見舞いに来た」と言う。花束を抱え裏口から入って行く。
境内の中央には、右手に金剛杖を、左手に鉄鉢を持った「弘法大師修行像」が建っている。足下には四国の地図があり、徳島は発心(ほっしん)、高知は修行、愛媛は菩提(ぼだい)、香川は涅槃(ねはん)とある。石碑には「弘法大師御入定千百五十年記念」とあり、当山の篤信家が昭和56年及び58年の2回にわたり四国八十八ヶ所を巡礼し、各霊前の御砂を収集しここに埋蔵したとある。
「一生に一度は」と四国八十八ヶ所巡拝を念願する人はあまたあっても、諸事情でなかなか実現できない人様々である。この霊場は、本霊場と同じ功徳やご利益があるとされている。
大師像 廻れば遍路 終えしこと
宝亀5年(774)弘法大師(空海)は、讃岐国多度郡屏風ヶ浦(香川県善通寺市)に生まれる。延暦7年(788)15歳。この頃 上京。漢籍を学ぶ。延暦10年(791)18歳。大学に入学。やがて大学を退き、阿波の大瀧(たいりょう)の嶽(たけ)、土佐の室戸の崎で求聞持法を行じ、大和、伊予などで修行する。延暦23年(804)31歳。
4月、出家得度し、遣唐使の一行に加わり、第1船に乗って難波津(なにわづ)を出帆。暴風雨にあって船団は四散する。福州長渓県赤岸鎮に漂着。福州に廻航させられる。12月下旬、長安に入る。延暦24年(805)大使の一行は長安を去るが、空海は留まり、西明寺に移る。以後、梵語(サンスクリット)やインド哲学を学ぶ。青龍寺の恵果(けいか)に師事し、胎蔵、金剛界、伝法阿闍梨位の灌頂(かんじょう)を受け遍照金剛の密号を授かり、真言密教の第八祖となる。
このように弘法大師(空海)は、長安で密教の奥義をきわめて大同元年(806)に帰国し、紀伊(和歌山県)の高野山に金剛峰寺(こんごうぶじ)を建てて、真言宗を開いた。密教の根本道場としては、金剛峰寺のほか、嵯峨天皇から賜った平安京の教王護国寺(東寺)がある。承和2年(835)62歳で高野山にて生涯を終えている。
みなさんも感応院で霊場巡りをしてみませんか。
境内の 霊場巡り 初紅葉