祖母の『関西旅行日記』
- 投稿日
- 執筆者
- 田中賢史
- 掲載元
- ミニだより118号
祖母の『関西旅行日記』
第一日目
6月18日(火) 天気晴
今日は私達の待ちに待った関西旅行です。リュックサックを背負って「聖地参拝列車」と称した団体車に乗り込んで午前七時十四分水戸駅を一路西へ向かって出発した。十時十八分に上野駅へ着く。駅前よりすぐ遊覧バスに乗って東京見物をする。
案内ガールの説明を聞きながら、浅草観音堂をお参して上野公園の前を通り、日本橋通りを走って、銀座へ出、新橋駅を通り、放送会館を見ながら海軍省のある所を見て通り、宮城へ着く。二重橋を拝んで、楠公の銅像の前へ行き、説明を聞いて、バスで中央気象台を右手に見ながら、九段坂でバスを降りて、靖国神社の英霊に対して心からの参拝を為し、境内の草原で昼食をして、赤坂離宮を拝見しながら、神宮外苑を通り、明治神宮を参拝いたしました。国会議事堂の中も見学いたしました。それから乃木邸跡の模様も見学し、高輪の泉岳寺へ参り、四十七士のお墓に参拝し、各省や官邸の建物が多く並んだ処を見て、日比谷公園を通り、東日天文館の中へ入りました。其所で珍しい星の有様や天体の様子を見て、東京駅前で夕食をすませ、銀座へ出る。相変わらず人通りが多く、賑やかな街を銀ブラして、午後八時四十分、東京駅を発車して、一路京都へ向って進んだ。静岡、浜松の辺りは夜中に通り過ぎ、私は夜の富士山を見たいと思って、窓から外を見ながら頑張っていたが、とうとう見られなかった。あの晩はよいお月夜だったので、走りながら見える道は、月に照らされて、白く光っていた。うつらうつらして車内で一夜を明かした。
解説
以上、これは私の祖母・坂田(旧姓・吉田)とし子の修学旅行の日記です。祖母は水戸の出身で、残された写真とともに、遺品として紛れ込んでいました。いつの年かは書いてないのですが、曜日との兼ね合いで調べると1940年、つまり昭和15年の6月の関西旅行であることがわかりました。これはその感想文の第一日目なのです。つまり初日は水戸を発って、丸一日東京見物をしたようです。しかしずいぶんな強行スケジュール。その日の夜には東京駅を発っています。
写真は明治神宮前での記念撮影のようです。よく見て下さい、全員笑っていません。ここは神聖な場所だから笑ってはいけないと先生にいわれ、厳粛な気持ちで写っていたのかもしれません。そして全員がおさげと同じ髪型、あと帽子を被っています。私はこれを見てて、なんとなくある既視感を覚えました。若い女の子が制服でズラっと並んでいる、このカンジはどこかで…? あ、そうだ!AKBとかナントカ坂とか、アイドルの子達みたいだ!と思ったのです。祖母は 1924年でも2月で遅生まれですので、関東大震災のあった1923年度の学年です。そうするとこの子達は当時17歳の世代。時代は違っても一番多感な頃です。既に日中戦争や欧州では第二次世界大戦が始まっていますが、まだこの文章を読む限り、そのような悲壮感や危機感はまるでありません。友達とテンションの上がってる夜を過ごしたりしています。
しかしこの 1年半後の12月8日に太平洋戦争が始まります。祖母は水戸空襲に遭い、布団を被って逃げたと言っていました。他の子達もその後どのような人生を歩んでいったのでしょうか、今となっては知るすべはありません。 以降、数回に分けて、若干の補足を加えながら、この旅の感想文の続きを綴っていきたいと思います。
1940年(昭和15年)のこの頃の出来事
- 5/10 英チャーチル内閣
- 5/14 独軍、マジノ線突破
- 5/19 オランダ、独に降伏
- 5/27 英、ダンケルク撤退
- 5/28 ベルギー、独に降伏
- 6/9 昭和天皇、紀元 2600 年記念関西行幸に発
- 6/10 伊、英,仏に宣戦布告
- 6/14 仏、独に降伏
- 6/18 ド・ゴール、ロンドンから対独レジスタンスを呼びかけ