私と「藤沢地名の会」
- 投稿日
- 執筆者
- 浅野皓司
- 掲載元
- ミニだより118号
私が「藤沢地名の会」に入会したのは、平成28(2016)年4月です。
そもそも、私が藤沢市に住むようになったのは、夫を亡くしひとり住まいだった妻の母が背骨を圧迫骨折し動けなくなったため、当時住んでいた川崎市から転居したことにあります。いずれ妻の親との同居を考えていたので、定年退職後の勤務先も東京でなく、横浜を選んでいました。
しかしながら、それまで長期の休暇時や月1回の両親の買い物のために訪れる藤沢は駅前近辺の商店街かスーパーマーケットぐらいでした。ところが、転入直後、輪番制の町内会の役員になることになった。
しかし、役員会で、町内はおろか市内の町内会名や町名が出てもどこにあるか皆目所在が分からず、話についていけない。家で妻や義母に聞いても(藤沢生まれであるにもかかわらず)しばしばどこにあるか知らない。そこで、神奈川県や藤沢市の地図を購入し、どこにどんな地名が所在するか学習することにした。また、図書館で藤沢市に関する書籍を借りたり、古書店等で藤沢関係の書籍を購入したりして地理や地名を覚えた。
具体的には、藤沢市の市街地図、観光マップに限らず、 「藤沢の地名」はもちろんのこと、 「地図に刻まれた歴史と景観① 藤沢市」、 「藤沢市文化財ハイキングコース」、 「藤沢 -わがまちのあゆみ-」、 「東海道藤沢宿」、 「藤沢と遊行寺」等々です。
さらに、『湘南ふじさわウォーキング協会』、『藤沢地名の会』の存在を知り、まず『ウォーキング協会』に入会し、しばらくして『藤沢地名の会』に入会した。
『ウォーキング協会』は当時私の知らない土地にゆくので、例会に参加していたが、400人から700人というおおぜいがもっぱら決められたコースを早足で歩く。そのスピードに驚くのと、ひたすら歩くのみということで数年後には退会した。(新型コロナウィルスの流行により例会が休会になったことも影響した)
それに比べ、『藤沢地名の会』は、ただ見学するのみならず、幹事の方々が事前に資料調査や下見をされ、その場所の地理・来歴等を詳細に説明していただけるので、益々興味がわき、いまに至るまで都合のつく限り参加させていただいている。
とりわけ、いまも記憶に残るのは、「地名探訪(第222回例会)藤沢地区周辺部の地名・史跡巡り」(平成28年11月8日)です。朝から文字どおり日の暮れるまで藤沢宿周辺の史跡を巡った。私の住まいの近くにこんなにも多くの史跡や石碑があろうとはと驚き、いまもそのレジュメを大切に保存し、時折読み返している。
最後に藤沢に関する私の疑問を述べると、「遊行寺の領地支配はどのようであったのであろうか?」です。私は現在大鋸3丁目に住んでいる。ここは、徳川家康が遊行寺に100石の領地を寄進したうちの「西村」にあたるという。このような寺社領にはどのような公租公課が課されていたか。また、幕府領の藤沢宿との租税付加の違いや関係はどうであったのだろうか。近隣の村は助郷役を課されていたとのことであるが、寺社領はどうであったのであろうか。これらのことをご存じの方は是非お教えいただきたい。