第14回 ブラさがみ 「新川崎で初耳学! 加瀬山は夢見の城 ??」
- 投稿日
- 執筆者
- 酒井郁子
- 掲載元
- ミニだより119号
2026年5月9日(土)
今回のブラさがみは日吉郷土史会の皆さんの案内で、川崎市幸区にある加瀬山付近の探訪です。日吉という地名は、東横線の駅を思い浮かべる方が多いでしょう。明治22年~昭和12年まで、現川崎・横浜市境に当たるこの地域は、日吉村という独立した自治体でした。日吉郷土史会は、この日吉村の現川崎市域を中心として活動している皆さんです。
集合は新川崎駅。ここは国鉄の新鶴見操車場があった場所です。かつては東洋一と称された鉄道貨物輸送の要衝地は、JR新川崎駅の両側に、商業ビルやマンションが立ち並ぶ近代的な街に変貌しています。このように、この周辺は新しい街というイメージですが、このすぐ近くの加瀬山周辺には白山古墳、第六天古墳などがあり、秋草文壺(国宝)や三角縁神獣鏡が発掘され、古代豪族の住まう地であったとみられます。時代が下って室町時代、扇谷上杉氏の家宰 太田道灌がこの加瀬山に城を建てようとしたそうです。しかしある夜、白鷲が道灌の兜を取り、飛び去る夢を見ます。これを凶兆と捉えて築城を断念した道灌は、一首の和歌を詠んだと云われます。
〽 さまざまの 眺めも果てず よしや世の 夢見が崎の春のあけぼの
この加瀬山は、多摩丘陵の南端に突き出た小山で、鎌倉街道下道を見下ろす場所。築城の名手道灌が目を付けたというのも、さもありなんという場所です。夢見ヶ崎という地名は、道灌の逸話にちなんだものならば、この詩が読まれたときに道灌が命名した地名となるのでしょうか?真実やいかに… 時代は変わって江戸時代、この逸話に興味を持ったのは大田南畝が、この地を訪ねています。村人から情報を集めた様子を『調布日記』に記しています。狂歌師・戯作者として名を馳せた南畝、道灌の夢見の逸話を戯作の題材にでもしようと思ったのでしょうか。
そんな歴史を重ねた加瀬山も、近代の開発で削られ、その形は大きく変わってしまっているとのこと。加瀬山をほぼ一周するツアーのそこここで、昔と今の地勢の変容を説明してもらいました。史話を思い浮かべて歩く現代の街中。日吉郷土史会の皆さんの、地元愛を感じる探訪でした。
(全行程 約4.5㎞、参加者 25名)
(出典:国会図書館デジタルコレクション)
中央に描かれたのが加瀬山、山裾の寿源寺(現廃寺)を描いたもの。山の頂にある天照皇大神は現存し、急な階段が昔の山姿を想起させる。
ブラさがみ