宗祖一遍上人像
- 投稿日
- 執筆者
- 中岡裕志
- 掲載元
- ミニだより120号
朱色の遊行寺橋を渡ると遊行寺である。時宗の総本山で、本当の名前は「藤沢山無量光院清浄光寺(とうたくさん・むりょうこういん・しょうじょうこうじ)」という。
惣門(冠木門)をくぐり、いろは坂の石段を登る。左の甘味処に寄る。「桜餅ひとつ」と注文すると、桜の葉の塩漬けで包んでくれる。「甘くてうまい」と言うと、「またよろしくお願いします」とのお母さんの声。境内に入る。広い。関東有数の広さだという。
大きくて立派な本堂手前に「宗祖一遍上人像」がある。質素である。
一遍の像を取り巻く赤つつじ
由緒によると、一遍上人は、延応元年(1239)伊予(愛媛県)の豪族、河野通弘の次男として生まれる。10歳で仏門に入る。諸国を行脚し修行を積まれ、36歳の文永11年(1274)熊野本宮証誠殿に参籠され、熊野権現より念仏賦算の神宜啓示を受ける。
「往生は、ただ、南無阿弥陀仏によってなされる」と悟りを開かれ、南無阿弥陀仏を唱え、だれ彼の区別なく、お札を渡すことが、「仏門の道」と知ったという。
思い出すと、新年に境内で、先代のお上人から、「南無阿弥陀仏 決定往生 60万人」の賦算を受けたことがある。「賦」は「くばる」、「算」は「札」のことである。
一遍上人は、弘安5年(1282)3月1日全国を遊行中に鎌倉へ入ろうとしたが、小袋坂において執権北条時宗によって拒まれる。そのため翌2日片瀬の館の御堂で念仏を行い、さらに片瀬の浜の地蔵堂でも念仏を行ったとき、あらゆる階層の人々が多く集まり、その時の様子が「一遍聖絵」に描写されている。
またこのとき道場には「紫雲たちて花ふりけり」と記録されている。奇瑞が起こったのである。しかし一遍聖は、「花のことは花にとへ紫雲のことは紫雲にとへ一遍知らず」と言われたそうである。
一遍聖は、同年7月16日に片瀬を発って都の方へ向かわれた。ここ片瀬の地は、一遍聖の遊行の旅で一番長く滞在されたところである。正応2年(1289)51歳で兵庫の観音堂にて生涯を終えている。
一遍の遊行の浜や白つつじ
帰りに片瀬の浜に出てみた。海は青くて大きい。ざわざわと波音を立てている。