村岡新駅(仮称)と宮前御霊神社
- 投稿日
- 執筆者
- 中岡裕志
- 掲載元
- ミニだより120号
藤沢駅から10分程バスに乗り、「湘南アイパーク」で降りる。新駅の工事がすでに始まっている。新駅は、JR東海道本線の大船駅と藤沢駅間の中間駅として築造される。ヘルメットを被った工事人が、メジャーで小川の幅を測っている。この小川も埋められ、新駅と柏尾川を渡る鎌倉市深沢地区とを結ぶシンボル道路となる。ちなみに、深沢地区には、鎌倉市役所が移転される予定である。
公共建築課のパンフレットによると、地上3階の新駅は、テニス・プラザ跡に出来るのであるが、元は「湘南貨物駅」であった。このエリアは、北口駅前広場として整備される。JR東海道本線の南側の市民農園跡は、南口駅前広場として整備される。新駅の開業は、令和14年頃とのことである。まわりには工場があり、近くには大病院もあるので、乗降客数は増えるだろう。ところで、新駅の名称は、新駅らしい「湘南藤沢駅」が良い。
入道雲ブルドーザーの唸る音

ここから、宮前御霊神社に行く途中に、住宅建設のため掘削したのであろう宮山の地層がある。「ふじさわの大地」(藤沢市教育文化センター刊)によると、この地層は、およそ200万年前の浦郷層の見事な「斜交葉理(クロスラミナ)が発達して何層にもなったものとのことである。

歩いて5分、宮前御霊神社に着く。宮前御霊神社は、天慶3年(940年)村岡城の平良文(村岡五郎)が、甥の平将門の討伐と国家安穏を祈願して、山城国洛中(京都市上京区上御霊前通)の御霊社(祭神・早良親王)を勧請したといわれている。のちに鎌倉権五郎景政を合祀した。その後、正嘉年中(1257~59年)北条時頼の命により葛原親王、高見王、高望王を合祀し5座となった。数ある境内社の中に「疱瘡神」がある。鎌倉権五景政が勧請したという。

お参りも終わり、近くの「宮前の石造物」を見に行くことにした。お堂の中には、暦応4年(1341年)をはじめ五輪塔が30基、宝篋印塔が7基(年号無)、延慶2年(1309年)から応永16年(1409年)の板碑が4基ある。
また、笠松龍灯大権現の碑がある。柏尾川(通称ザアザア)の北側の龍灯山の上で、平安中期、陰陽師・安部清明が雨乞い祭祀を行ったといわれている。昔、水田は天水(雨水)に頼っており、雨乞いは、明治の頃まで行われていたのである。
大空を見上げて乞いし夏の雨

帰りのバス停でバスを待っていると、前の人が自販機でお茶を買ってきた。後ろに並ぶので「前だった」と言うと「順番を気にしないタイプなので」と答える。のんきな者である。