元号にまつわる四方山話

投稿日
執筆者
梶浦清敏
掲載元
ミニだより119号

それは、「延喜」という元号から始まった・・・

日本の元号の一覧表をぼやーっとながめていたら、不思議なことに気がつきました。

平安時代の「延喜」という元号は西暦でいうと901年で辛酉(しんゆう、かのととり)に当たるのですが、その「延喜」以降、60年毎に巡ってくる辛酉の年に改元されていることが多いのです。

延喜(901) 応和(961) 治安(1021) 永保(1081) 永治(1141) 建仁(1201) 弘長(1261) 元亨(1321) 弘和(1381) 嘉吉(1441) 文亀(1501) 天和(1681) 寛保(1741) 享和(1801) 文久(1861))と、江戸時代が終わるまで、1561年と1621年を除いて必ず改元されているのです。900年間で16回ある辛酉のうち14回も改元されていることになります。

そこで、元号が改められる理由を調べてみると・・・

神話の時代は別にして、「大宝」から「令和」までの歴代天皇は85代ですが、その間の元号は200を越えています。これは明治改元にあたって、一世一代の制度が施行されるまで、天皇一代において何度も改元する例が多かったからです。

改元は次の様な理由で行われていたことが分かりました。

① 代始改元

天皇の即位にともなう改元です。

現在の私たちの感覚では当然のように思われる改元です。

② 祥瑞改元

何かの吉兆をもって行われる改元です。

珍しい雲を祥瑞とした「慶雲」、武蔵国で天然の純銅が産出した事による「和銅」などがその例です。

③ 災異改元

天災や戦乱を天の戒めと考えてする改元です。

平治の乱が起こったために「永暦」と改元され、元禄大地震が起きたことで「宝永」となり、安元の大火によって朝廷の正殿が燃えてしまったので「治承」と改元してされたことなどが例です。

④ 革年改元

「辛酉」と「甲子」の年は、改革の年とされていたため、延喜元年(西暦901年)以後、江戸時代まで辛酉・甲子の年の改元はほぼ恒例化していました。

前に挙げた「辛酉」の年の改元の他に、「甲子」の年も改元され、康保(964)万寿(1024)応徳(1084)天養(1144)元久(1204)文永(1264)正中(1324)元中(1384)天安(1444)永正(1504)寛永(1624)貞享(1684)延享(1744)文化(1804)元治(1864)と、1564年を除いて必ず改元されています。

(辛酉から甲子までは3年なので、辛酉に改元されるとその元号は3年しかありません)

南北朝時代を含むか否かの違いはあるものの、これまで240余りある元号のうち最も多いのは「災異改元」で全体の約半数に上ります。天災や戦乱を乗り越えようとする機運が感じられます。「代始改元」は71回、「祥瑞改元」は15回、「革年改元」は30回。ちなみに明治以降は「代始改元」のみとなっています。

明治以降の改元

元号はもともと中国で生まれ、中国のみならず、かつては朝鮮、琉球、モンゴル、ベトナムなどアジア諸国で使われていたようです。しかし現代において、法律に基づく国家制度として元号を運用しているのは日本だけです。(台湾と北朝鮮では独自の暦も併用していますが、元号とは別のものです。)

また前述の通り、江戸時代までは一代の天皇が何度も改元することが多かったのですが、「明治」の改元に当たっては、‘’一世一代‘’の制度が定められました。その後、昭和59年に元号法が施行され、「一世一元」「天皇の即位が改元の契機」「新元号は内閣が決定する」などの原則が初めて明記されました。

「平成」の改元は初めて元号法が適用され、「令和」改元の時は、あらかじめ改元の日が定められ、新元号が用意されていました。

昭和から平成へ、平成から令和へ、時の官房長官が新元号を発表した映像は記憶に残っていますね。

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