祖母の『関西旅行日記』2

投稿日
執筆者
田中賢史
掲載元
ミニだより118号

第二日目

6月19日(水) 天気晴

夜が明けて、東の空が白んで来た頃、向こうに広い広いびわ湖の水が見えてきた。もうそろそろ京都に近づいてくる。

山々の朝の景色を眺めている中、六時三十六分、一晩中走り続けてきた汽車の体が京都駅のホームへ勇ましく滑り込んだ。「京都~京都~」という駅員の声をききながら、降りて前の広場に集まり、荷物はトラックに積んでしまって、其所から京都遊覧バスにのる。

駅前から真すぐに見える烏丸通りを通って、初めに清水寺へ行く。有名な「清水の舞台」へ上がって四方を見下ろすと、朝靄の中に緑の樹々が美しい。どこを見てもこんもりと青葉若葉で埋められている。

三十三間堂 此処もお話にきいて有名な処であるが、実に来て見るとびっくりしてしまう。お堂の中に一千一体あるといはれている金色の仏像がずらりと並んでいるのに目をみはった。その後の通矢と呼ばれる長さ六十六間の廊下を歩いて行くと、色々の木像が置いてある。

豊国神社を参拝して、有名な国家安康という鐘を見ました。丸山先生が力いっぱい衝いたらご~んと大きな音がしていつまでもひびいていました。大きな釣鐘を見るのは此処が始めてでした。豊国神社を出てバスに乗り、西本願寺へ向かいました。

清水寺での記念撮影写真

京都

バスは西本願寺の前へ着いた。此所は桃山時代の建築の妙を誇るお寺であるということは世に有名であり、前に聞いていたが、ちょっと私達が見たのでは、分からないが、お寺の前に来て、随分宏壮だなぁと思いました。上へあがってお寺の内部を見学しました。鴻の間という広い室へ案内されて説明をきくと、秀吉がこの室へ諸大名を集め、昔大広間とした部屋です。襖には見事な山水花鳥画がかかれて居り、すぐそばで見ますと、昔の面影がしのばれます。皆狩野長〇(※信?)等が腕をふるった事でしょう。

そこを出ると外にバスが待っている。それに乗ると案内嬢がきれいな発音で「これから皆様を嵐山までご案内いたします。」と言った。

太秦通りをバスはずんずん走る。案内嬢のいろいろの建物を指しながら説明する声に窓から、右に左に頭をまわして見るのに忙しい。撮影所の白い建物がそこここにたくさんあるのにおどろいた。

バスは、真っ直ぐな道を約二十五分位走って、いよいよ嵐山に着く。「正面に見える山が嵐山でございます。」という声に前を見ると遠くなだらかな緑の山が映った。バスを降りて川べりの草原で解散した。とても暑いので、しばらく木蔭で涼む。あたりを眺めると、川の向こうに緑の山々がずっと並んでいる。その下を流れる堰川の水が山の緑をうつして何とも言われぬよい景色です。屋根のついた木舟がいくつもいくつも水に浮かんでいる。左の方の堤に人が集まっているので、みんなで行ってみると、昔の姿をした人達が船の上でロケーションをやっていた。初めてなので、皆珍しいように見ていました。渡月橋という長い橋を渡って、川の向こう岸へ行くと、大きな屋形船に先生や十人位の人が乗っている。これから船で川下の方へ行くのだそうだ。それぞれ三つの船へ乗ると、船頭さんが竿で漕ぎ出し、私達は、目の前に山々を見上げながら、船はゆらゆら進んでいく。ずうっと下った処で写真をとって、また元へ漕いで行った。ボートにも行き逢った。京都にはこんなところがあるので、羨ましいと思った。船をおりた。もう嵐山とさよならをしなければならない。青葉若葉の緑色に埋められた嵐山の景色をよく頭に留めて、再びバスのところへ引き返した。

解説

私の祖母ら水戸の女高生一行は、初日の東京見物を経て、汽車で一泊しいよいよ関西へ。滋賀を経て京都へ到着します。私は京都の土地勘がないため、これらの観光地めぐりをなんとなくイメージで追ってみるということができないのですが、概ね現代の観光客、特に昨今では外国人観光客が行くような、とりあえずメジャーなスポットを訪ねたようです。

最初に訪ねたのは清水寺とのこと。まずは一枚記念に撮った写真があります。時代だな、と目を引くのは山門の「擧國一致」の文字。この時期は、遠い欧州でドイツが英・仏と開戦し、第二次世界大戦が始まります。やがてイタリアも参戦。この頃、オランダ、ベルギー、フランスが降伏します。これにより遡ること四半世紀前の世界大戦が「第一次」となりました。

そして日本はこの2年前にはすでに独・伊とは軍事同盟国でありました。日本は日本で3年前の盧溝橋事件をきっかけに中国共産党、そして国民党と対日国共合作をした中国と全面戦争を戦っていました。その頃の「擧國一致」です。やがてこの流れは1年半後に対米戦争へとつながって行きますが、その流れを読めていたのは、政治家や官僚、軍人、経済人、報道関係、学者など一部の人間だけで、修学旅行でワイワイやっている女子高生たちには、夢にも関係ないことだったと思います。

もしそうなったとしても、日露戦争のときのように、どこか遠い大陸や離島諸島で「兵隊サンたちが頑張って戦ってくれている」程度の認識だったのではないでしょうか。それが自分たちの家族や生活、そして人生にまでジワリジワリと浸透してくることを知るのはもう少し後のことです。

この年は1940年・昭和15年ですが、皇紀2,600年という節目の記念年でもありました。実はこの同じ6月の9日、この修学旅行の10日ほど前ですが、昭和天皇も紀元2600年記念関西行幸のため朝9時に宮城(皇居)を出発し、夕方6時には京都御所へ着いています。10日には伊勢神宮、11日には畝傍山陵、橿原神宮、12日は泉山陵、伏見桃山陵、東陵に参拝、13日の夕方には東京に戻っています。つまり祖母たちはほぼ昭和天皇と時を同じくして、京都へ修学旅行に行っていたことになります。

この2日目もまだまだいろいろ巡るのですが、今回はここまでにしておきます。

お問い合わせ

Contact

当会に関するご質問・ご感想などをお受けしております。

お気軽にお問い合わせください。

お問い合わせ

会員募集

Join us

4月~翌年3月

年度会費

3,500

(11月以降入会の方は、その年度内は1,500円。)

以下、会員限定の特典を得られます。

  • 講演会は事前に申し込み不要で参加可能。
  • 会報バックナンバーや資料へのアクセス権
  • 追加家族会員は1名様まで、年度会費500円
お申し込み 詳細を見る