村岡トンネルと横須賀水道路と弥勒寺
- 投稿日
- 執筆者
- 中岡裕志
- 掲載元
- ミニだより120号
藤沢駅で降り、藤沢郵便局前を通る。境川に架かる東(あずま)橋を渡ると、村岡トンネルである。全長200m程の馬蹄形の歩道トンネルである。時々自転車が通ると、両手を挙げて「ここは、自転車は通っていけないよ」と叫んでいた、おじいさんも最近は見かけなくなった。トンネルを抜けると、北西から南東に縦断する一直線の横須賀水道路がある。
横須賀市史によると、横須賀鎮守府は、軍港の水需用増大に応えて、取水点を愛川村半原(現・愛川町)に決定し、これにより横須賀に至る大規模な海軍専用水道を計画した。これが半原水系である。

半原水系は、半原から厚木(現・厚木市)・藤沢(現・藤沢市)・鎌倉(現・鎌倉市)・逗子(現・逗子市)・田浦を経て横須賀市逸見に至る全長53km、口径50cmの鋳鉄管を敷設、一日送水量を走水水系の6倍以上の13,000㎥にするという壮大なものであった。明治45(1912)年2月に着工、10年の歳月と総工費約384万円という当時としては巨額の資金が投入され大正7(1918)年10月に通水し、10年3月にすべての工事を終了した。
有馬水系(海老名市の社家で相模川から取水した水)は、昭和14(1939)年頃に着工され、全国から動員された徴用者の突貫工事により16年に一部通水が可能になった。なお、葛原の新幹線高架付近から柄沢橋までは、半原水系と並行して埋設されている。道標には、「波形と海」、「横須賀水道部」、「Y」マークなどが刻まれている。
赤蜻蛉一直線に空を飛ぶ
横須賀水道路を歩いて15分、弥勒寺に着く。弥勒寺は、この辺りの地名になっている寺である。山門前の右側には、日蓮宗の「南無妙法蓮華経」の御題目の石塔が建っている。

山門を入る。この山門は、近くの加藤邸にあった門を移したもので、総欅造で両側に袖塀を持ち、右袖塀には潜り戸を設けている。薬医門である。
苔むす参道を歩く。大きなシダの木、薄紅葉がある。ザクロの実が赤い、もうすぐ食べられそうである。左にあるタラヨウ(多羅葉)は、インドでは葉に経文を刻み込んだといわれ、葉の裏に文字を書くと30秒くらいで浮き出てくる。「葉書」の語源になっているという。本堂には、禅宗様(ぜんしゅうよう)の花頭窓(かとうまど)が見える。「今日は」との声。若奥さんが両手で仏花を抱えている。墓参りである。

家人に挨拶をして、石段を登って行く。墓は裏山にあるようだ。
弥勒寺は 岩窟凍る 古刹なり
由緒によると、弥勒寺は、日蓮宗で山号を東耀山という。嘉禄2(1226)年鎌倉幕府3代執権北条泰時が父義時の菩提を弔うために開基、創建した。初めは法泉寺といい禅寺であった。
正和4(1315)年火災により全山焼失し、その跡に日善が弥勒堂を建て弥勒菩薩を祀った。元弘の乱(1331~33)年の時、新田義貞の鎌倉攻めの戦火に遭い、岩窟に本尊弥勒菩薩を秘し難を逃れたという。貞和年間(1345~50)年の頃堂宇が再建されたが、後にまた退廃。その後、天正元(1573)年日祐が再興、日蓮宗に改宗した。本尊は三宝祖師である。裏山の弥勒堂に最近まで本尊弥勒菩薩が安置されていたが本堂に移された。行基の作と言われている。

薄紅葉雨に濡れたる弥勒堂
弥勒菩薩は、実在の釈迦の弟子として修行し、現在は須弥山(しゃみせん)上空の兜率天(とそつてん)にあって衆生(しゅじょう)を導きつつあるとされる。